今日のみ言葉【No.2632】(2021年 9月17日)「麦畑にて(3)」

「人の子は安息日の主である」
(ルカ6:5)

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幼い女の子がキッチンで料理をしているお母さんのスカートを引っ張っています。

お母さんは「やめて」と言いますが、何度言ってもやめません。

甘えたい気持ちをストレートに表現できれば、

「ママ、抱っこして!」

となるのでしょうが、それができないのでこの子はこんなことをしているのです。

そして次なる変化球を投げ込んできました。

「ママ、怒ってるでしょ?」

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これに対して、お母さんが次の(A)、(B)の態度を取ったとしたら、この子はどう判断するでしょうか?

(A)笑顔で「怒ってるわよ」と言う。

(B)しかめっ面で「怒ってないわよ」と言う。

つまり、お母さんの本心は表情にあるのか言葉にあるのか、どちらを本物と認めるかということです。

答はあなたの予想通り、言葉の方ではなく、笑顔としかめっ面の方を本当と思います。

人間同士のコミュニケーションにおいては、人は言語より非言語(表情や服装、身振り等)の方を重要視するからです。

しかし、イエス・キリストとのコミュニケーションにおいては、言葉の方をそのまま受け取らなければなりません。

イエス様は言行一致で、決して嘘をつかない御方だからです。

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パリサイ人たちはイエス様を神から来たメシアだとは考えておらず、人間だと見ていました。

従って、言葉でなく、外見という非言語的部分の方で判断するという過ちを犯していました。

ですから、

「人の子は安息日の主である」
(ルカ6:5)

という言葉をそのまま受け取ることはありえません。

彼らの心の中では、

「お前は何を言っているんだ。それは自分を神とすることだぞ!」

という怒りが湧いていたであろうことは疑うまでもありません。

これがやがて殺意につながっていきます。

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イエス様が

「人の子は安息日の主である」
(ルカ6:5)

と言われたということは、ご自分が安息日よりも上に立つ者であるという宣言です。

つまり、父なる神にすべての権威をゆだねられている者であり、律法を超越するメシアであることを意味しているのです。

そもそも、イエス様はモーセに十戒を授けた側におられます。

安息日を守ることの本質を定めた御方ですから、その誤った運用に異議を唱えるのは当然のことなのです。

週に一度の安息日を守るのは、世界を創造された神が共にいることを思い起こすためであり(創世記 2:2-3)、エジプトでの奴隷から神が解放したことを思い起こすためです(申命記 5:12-15)。

決して安息日によって人が縛られるためではないのです。

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週に一度、休みを取り、神を見上げる一日を取ることは、神を信じる者の特権です。

安息日の主である言われたイエス・キリストの言葉こそ真実であると信じ、この日を過ごして参りましょう。

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