今日のみ言葉【No.2626】(2021年 9月10日)「麦畑にて(1)」

ある安息日にイエスが麦畑の中をとおって行かれたとき、弟子たちが穂をつみ、手でもみながら食べていた。すると、あるパリサイ人たちが言った、「あなたがたはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのか」。
(ルカ6:1-2)

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刑事は容疑者を尾行して、その一挙一投足に注目し、何か一つでも証拠をつかもうとします。

この「刑事」を「パリサイ人」に、「容疑者」を「イエス」と入れ替えて前の文を読んでみて下さい。

すると、今日の麦畑での事件の一部始終がよく理解できるようになります。

「ナザレのイエスは聖書で預言されたメシアであるか」を審査するために、パリサイ人たちはイエス様を追いかけたのです。

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ところで、聖書を知らない人が今日の聖句を読んだ時、日本語だから読めますが、内容がよく理解できないはずです。

まず浮かぶ疑問は、

「誰かの麦畑から勝手に取って食べてもいいのか。盗み食いではないか」

というものでしょう。

また、弟子たちをとがめるパリサイ人たちが、その盗みの容疑ではなく、

「安息日にしてはならぬことをしている」

という部分に焦点を当てているのもよくわかりません。

まずこの辺のユダヤ的背景を説明してから本論に入っていきましょう。

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最初に盗みの容疑ですが、これは申命記にこう書かれてあるので律法違反ではありません。

「あなたが隣人の麦畑にはいる時、手でその穂を摘んで食べてもよい。しかし、あなたの隣人の麦畑にかまを入れてはならない」
(申命記23:25)

収穫して保存することはいけませんが、人の命を守るためならそれはOKだという愛の律法です。

しかし、パリサイ人たちが突いたのは、

「弟子たちが穂をつみ、手でもみながら食べていた」
(ルカ6:1)

という行為です。

穂をつむのは「収穫」、手でもむのは「脱穀」という労働と見なし、これを安息日に行ったから悪いというのです。

律法の中で最も基本的部分であるモーセの十戒に、安息日には労働を禁止するとあるからです。

「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない」
(出エジプト記20:8-10)

パリサイ人たちの

「あなたがたはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのか」
(ルカ6:2)

という質問は、一見言いがかりのようにも受け取れますが、あまりにも真面目過ぎるので細部にまでこだわっているのかもしれません。

彼らの心の中には綺麗な動機も汚い動機も一緒くたになって存在し、「審査」という名目で表に出されたのです。

これに対して、イエス様はどうお答えになられたのでしょうか?

以下、次回に続きます。

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どんなに正しいことを行っても、批判はされるものです。

イエス様をあなたの理解者として、この御方と共に歩く今日として参りましょう。

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