今日のみ言葉【No.341】(2012年 7月 2日)

こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。
(ローマ15:7)

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ヒトラー率いるナチスドイツが戦争に邁進していた頃、それに反対したボンヘッファー牧師は投獄され、処刑されました。

戦後、彼の業績は高く評価され、キリスト教界に大きな影響を与えました。

ボンヘッファー牧師が獄中から姪の結婚式に出した手紙に、今日の聖句が引用されています。

互いに相手を受け入れなさい、という結婚生活へのメッセージだったのです。

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人を受け入れる、ということは簡単なように聞こえます。

自分が好きな人ならもちろんOKでしょうが、嫌いな人や自分が損をする相手ならどうでしょう?

出来るなら避けたい、どうしても会わなければならないなら短時間ですませたい、というのが人間の本音ではないでしょうか。

しかしそこに

「キリストもわたしたちを受けいれて下さったように」

という基準が付け加えられていると、私たちはますます逃げ場を失い、

「嫌いな人を受け入れなければならない」

と思い込んで、キリストを信じて生きることに苦しさを感じる人も出てきます。

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「こういうわけで」という冒頭の言葉がポイントとなります。

これは1節の、

「わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。」

ということを指しています。

教会やクリスチャンの交わりには様々な人たちが集まります。

当然、得意・不得意、理解の速さ・遅さ、体力の有無、等の差があります。

あなたの当たり前は、人にとっては強さであったり、自分にとっての当たり前は人から見たら不足に見えたりするのです。

ですから、自分の得意な所で他者の不足を補うことが神の御心です。

決して人の弱い点を責めたりすることではないのです。

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キリスト教は、嫌いな人を無理矢理好きになるよう努力する宗教ではありません。

お互いの弱さを受け入れ、自分の出来る強さでカバーし合うこと、これが神の栄光を表すことであり、キリストが私たちを受け入れて下さったように互いを受け入れることです。

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自分の強さを再発見し、それを役立てる一日として参りましょう。

ローマ,御言葉

Posted by maruyama