今日のみ言葉【No.1694】(2018年 1月26日)「 知識と信頼」
ここでペリクスは、この道のことを相当わきまえていたので、「千卒長ルシヤが下って来るのを待って、おまえたちの事件を判決することにする」と言って、裁判を延期した。
(使徒24:22)
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聖書ジョーク子供篇です。
あるクリスチャンホームの男の子が昔から家にある大きな聖書を読んでみようと思いました。
旧約聖書の1ページ目から開いていくと、そこに挟まれていた古い葉っぱがヒラリと落ちてきました。
彼はそれを拾い上げ、まじまじと見つめた後、母親のもとに走って行ってこう言いました。
「ママ、聖書の中からすごいもの見つけたよ」
「あら、何を見つけたの?」
彼は誇らしげに言いました。
「多分これアダムの服だよ!」
これくらい純粋に聖書の言葉を信じたいものです!
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神の言葉を聞いた後、人間はすぐ信じるという行動を取るとは限りません。
パウロはアテネで御言葉を語った後、人々の様々な反応に出会いました。
「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い」
(使徒17:32)
という人たちもおり、
「この事については、いずれまた聞くことにする」
(使徒17:32)
と決心を延ばした人もいました。
しかし、
「彼にしたがって信じた者も、幾人かあった」
(使徒17:34)
と聖書は記しています。
では十分知識があればキリストの福音に同意し、信仰を持つかというとそうでもありません。
「ここでペリクスは、この道のことを相当わきまえていたので、『千卒長ルシヤが下って来るのを待って、おまえたちの事件を判決することにする』と言って、裁判を延期した」
(使徒24:22)
聖書に関する知識はあくまで土台に過ぎないのです。
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信仰には御言葉への信頼が必要です。
信頼があるとは、聞いて、まずその通りにやってみようと行動に移すことです。
もちろん現在の自分に無理なことはできません。
たとえば、
「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」
(マタイ5:39)
などはかなりレベルの高い話ですから、いきなり形だけ真似をしても嘘になります。
あなたの今いる所で、神の真理だと言われたことを信頼し、実際に一歩足を踏み出して生きてみることです。
それは祈りであったり、奉仕であったり、誰かに声をかけることかもしれませんし、今まで無理だと思っていたことに再チャレンジすることかもしれません。
神の御心だと信じられることを見出し、それに積極的に参加してみること。
「かみさま、約束だよね。信じてやってみるから見ててね」
と幼な子のように神の御手の中に飛び込んでみることです。
現実は紆余曲折があるでしょうが、最終的に「神の御心はこうだったのか」と満足でき、手応えのある人生が待っています。
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あなたの持っている知識が僅かであったとしても、それを確かな踏み台として一段登る今日として参りましょう。
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