今日のみ言葉【No.2605】(2021年 8月 6日)「取税人レビ(マタイ)の召命(2)」
すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた。
(ルカ5:28)
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ある日の聖書研究会で、なぜ取税人レビは「いっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従って」行けたのだろうか、という話になりました。
「お金で幸せは買えないとわかったから」
「罪責感があったからじゃないかしら」
「空しい心を抱えていたんだろうなあ」
と、様々な答が出ました。
もちろん聖書に答は書いてありませんから想像するだけですが、彼の心が動かされたことは確かです。
同じ取税人ザアカイもレビと同じく、あるひとつのイエス様の行動で心が変えられました。
それは、イエス様がその人のところに行かれたというところにあります。
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当時の取税人が集める税は、所得税と共に通行税がありました。
所得税は金額が定められているのでズルはできませんが、通行税の方はいくらでもごまかしが効きました。
レビが収税所にすわっていたというのは、交通の要所に場所を定め、人々から通行税をとるためです。
この点で、彼は相当欲深な人間であり、家族や周囲との人間関係よりも、お金の方が価値があると考える人であったことがわかります。
また、人が集まる所では必ず情報も流通しますから、レビがイエス様に関する噂を聞き、数々の奇跡やその人間性を知っていたことは間違いないでしょう。
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さて、イエス様は
「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」
(マタイ8:20)
と言われているのですから、裕福な生活をしていたとは考えられません。
当然、通行税を取られる道路など行くはずはなく、レビを避けて会わないはずなのです。
ところが、イエス様はわざわざ出て行かれ、
「レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て」
(ルカ5:27)
とあります。
つまり、彼に会いに行ったということです。
そしてその後、レビの家に入り、食を共にします。
この点が取税人のかしらザアカイと共通する点です。
「イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた」
(ルカ19:5)
ザアカイもイエス様から見られたのです。
そして、こう言われました。
「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」
(ルカ19:5)
ザアカイもイエス様に訪問され、食を共にしました。
イエス様は私たちの生活のただ中に入ってこられる御方です。
その時に、私たちの人生に変革が起こされるのです。
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キリストに見られ、出会いを持とうとされているのが私たちです。
今日、その眼差しに気づき、イエス様を心に迎え入れられますように…。
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