今日のみ言葉【No.3643】(2025年 5月29日)「頑固なパロ(3)」
モーセは主のもとに帰って言った、「主よ、あなたは、なぜこの民をひどい目にあわされるのですか。なんのためにわたしをつかわされたのですか。わたしがパロのもとに行って、あなたの名によって語ってからこのかた、彼はこの民をひどい目にあわせるばかりです。また、あなたは、すこしもあなたの民を救おうとなさいません」。
(出エジプト記5:22-23)
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パロからの圧制と、同胞のイスラエルの民からの不理解と不信を浴びせられたモーセは、どうしたでしょう?
彼は、なすすべを知らず、お手上げになったでしょうか?
いいえ、モーセは自分がどうすべきか、何が解決の道かを知っていました。
それが、
「モーセは主のもとに帰って言った」
(出エジプト記5:22)
という行動です。
「帰る」とは神の前に出て祈るということです。
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モーセはどのように祈ったのでしょう?
前向き肯定的で、積極的に未来の祝福を先取りした信仰の祈りに違いありません。
ところが、聖書に記されている祈りは、それとは全く違う祈りです。
彼の祈りを列挙すると、
「主よ、あなたは、なぜこの民をひどい目にあわされるのですか」
「なんのためにわたしをつかわされたのですか」
「わたしがパロのもとに行って、あなたの名によって語ってからこのかた、彼はこの民をひどい目にあわせるばかりです」
「また、あなたは、すこしもあなたの民を救おうとなさいません」
となります。
弱音とも不満とも取れる表現で、彼は激しく自分の思いを神にぶつけています。
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祈りとは何でしょう?
それは、今の思いを、包み隠さず、神に申し上げることです。
使徒パウロはこう記しています。
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」
(ピリピ4:6)
これが祈りの定義です。
モーセはこのような祈りを捧げました。
人からの圧迫や、理解してもらえない苦しみに悩む時は、モーセのように生ける神に向かって祈りましょう。
また、そのようにできる人は幸いです。
祈りは、失望と疑いを取り除くからです。
そして、希望と確信を与えてくれます。
神はモーセの祈りに対して、答えられました。
以下、次回に続きます。
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「あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」
(ピリピ4:6)
この御言葉にすがり、神に申し上げる祈りを捧げて参りましょう。
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