今日のみ言葉【No.333】(2012年 6月15日)
律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。
(ローマ7:7)
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教会に来てお話を聞き出すと、「律法」という言葉を頻繁に耳にします。
私は律法を「掟(おきて)」という暗くて堅苦しいイメージでとらえていました。
自分を縛り、その掟に背くと大変な罰を受けるという感覚です。
ですから、律法というのは古い時代の遺物で、律法は悪というふうに単純に考えていました。
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ところが聖書は、律法は良きものだと語っています。
「律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである」
(ローマ7:12)
律法は罪なのではなく、罪を示すものです。
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このことは、律法という一つの「線」があるのだと考えると、理解の助けになるのではないでしょうか。
下に「律法」という縦線を記すと、自動的に右と左に分かれます。
【律法】
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こ | こ
ち | ち
ら | ら
が | が
左 | 右
側 | 側
このような線があると、絶えず自分はどちら側にいるか気にしていなければなりません。
聖なる側から罪の側に流されないように、細かい点までチェックする必要があります。
つまり、常に完全でいることを自分に要求する生き方が始まってしまうのです。
まさしく、律法によって自分で自分を縛り、罪に怯える不自由な生き方がそこにはあります。
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このような人生から解放してくださったのがイエス・キリストです。
イエス様はご自分の命を十字架でお捨てになり、人間の罪の代価をすべて支払われました。
ですから、自分を聖とするために律法を守る生き方に意味は無くなってしまいました。
イエス様を救い主と信じるだけで罪許され、聖とされる恵みの世界が新たに開かれたのです。
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キリストによって解放された人生を歩んで参りましょう。
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