今日のみ言葉【No.2492】(2021年 3月12日)「心にかけてくださる神」
主は、今わたしを心にかけてくださって、
(ルカ1:25)
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私が御言葉メール執筆用に使っているノートパソコンの話をします(技術用語が出るのでわからなくても結構です)。
2007年発売のThinkPad R61eというウィンドウズXP時代のマシンを使っています。
さすがにメモリとCPUは強化し、OSをLinuxに入れ替えて動作を軽くしています。
こんな古いパソコンを使うのはなぜでしょう?
何よりもキーボードのタッチが良いのです。
そして、画面がノングレアなのでギラギラせず、目の疲れが軽減されます。
もうすでに廃棄されるはずのものが選ばれているのは、その2つの理由からです。
私たちも神の選びがあって、生かされ、信仰を持たせていただいているのです。
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不妊の女エリサベツは御使の言葉通り妊娠し、こう言わざるを得ませんでした。
「主は、今わたしを心にかけてくださって、」
(ルカ1:25)
この告白は信仰の勘所を突いています。
私のような者を神が心にかけて下さった、という思いです。
自分の人生のために、どこかから「信仰」なるものを持ってきて、支えとしようとしたのではないのです。
自分が必要だから神を信じたのではなく、神の側から私たちの方へ来て下さったので信じるようになった。
これがエリサベツの信仰であり、私たちが持つべき信仰のスタートラインです。
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このような信仰の始まりを持った人は人生の困難に出会っても決して揺らがない…、というはずはありません。
揺さぶられることはありますが、耐震構造のビルのように、やがて揺れを吸収してピタリと止まります。
クリスチャンでないご家族から勧められて教会に来だし、信仰を持った方々にこのような人がおられるのを見受けます。
T兄はアルコールに溺れる生活をしていました。
ご家族が「教会にでも行ってみたらどうか」と説得し、「まず1回は」ということで来られました。
おそらく、ご家族は多方面ですでに解決策をお取りになったのでしょうが、それらが功を奏さず、最後の「神頼み」として教会に連れて来られたのだと思います。
彼は自分でも自分を半ば見限っている思いでしたが、聖書のメッセージに触れ、その私が神に選ばれていることを知りました。
徐々に彼の魂の中に神の命のエネルギーが注ぎ込まれ、罪人の自分を救って下さるイエス・キリストを信じ、洗礼を受け、クリスチャンとして歩み始められました。
T兄の特徴は、何か事が起こった時に、決してあわてず、しばらく考えることです。
その時間は、
「神様が来られて、私はあそこから救われたのだ」
と原点に帰っておられるのでしょう。
やがて揺れが収まり、自分なりの判断を下します。
しかし、それが常に満点の解答だとは限らず、また揺さぶられても、
「主は、今わたしを心にかけてくださって、」
(ルカ1:25)
という信仰のスタートをした人は粘り強く問題解決に当たり、いつの間にかそれを乗り越えているのを見ます。
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信仰のスタートラインを神の選びに置く今日として参りましょう。
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