今日のみ言葉【No.2571】(2021年 6月25日)「キリストの癒し(2)」

しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。
(ルカ4:43)

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前回に引き続き、なぜキリストへの信仰があるのに癒やされる人と癒やされない人が出るのかの説明です。

これはあくまでもあなたご自身が考えるヒントとしてお用い下さい。

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まず第1に、なぜこの世に病気があるのかということです。

それは、アダムとエバが罪を犯して以来、この世は堕落した時代、曲がった時代となっているからです。

神の御心は天では完全に行われていますが、地では必ずしもそうでないことは、主の祈りでよくわかります。

「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」
(マタイ6:10)

地上のどこででも御心が行われているなら、このような祈りは必要ないからです。

神の御心はこのような世の中から救われることです。

「ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に『この曲った時代から救われよ』と言って勧めた」
(使徒2:40)

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さて、イエス様は私たちの救いのためにこの世に来られましたが、今日の聖書箇所に出てくるカペナウムの人々のように、曲がった時代に生きている私たちは、神の御心中心ではなく、自分中心に物事を考えます。

癒やしに関してもそうです。

イエス様はご自分がメシアであることのしるしとして癒やしをなさいました。

神の国が近づき、その福音の祝福として病からの解放を与えられたのです。

しかし、それによってカペナウムの人々がイエス様のなされたことを正しく理解したかというと、決してそうではありませんでした。

彼らは、会堂での悪霊の追い出し、ペテロの姑の癒やし、その後の多くの人々の癒やしを見聞きし、

「群衆が捜しまわって、みもとに集まり、自分たちから離れて行かれないようにと、引き止めた」
(ルカ4:42)

とあります。

残念なことに、これは全く自分中心の考えから出た行動でした。

彼らの考えはこういうものだったでしょう。

「イエスはどんな病気でもたちどころに直せる人だ。この人にいてもらったら我々は病気知らずで安泰に生きていられる」

つまり、彼らはイエス様を癒やしの道具として利用し、自分たちの利益のために

「自分たちから離れて行かれないようにと、引き止めた」

のです。

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しかし、イエス様は

「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」
(ルカ4:43)

とおっしゃり、カペナウムの人々の要望を断ります。

彼らからすれば、

「イエスとは何と心の冷たい愛の無い奴だ!我々がこの後病気になっても知らないというのか!」

となるでしょうが、他の地区の人たちからすれば、

「わざわざ我々のところまで出てきて下さり、病を癒やしてくれるとは、なんと心の温かい愛のお方であろうか」

となるわけです。

両者とも自分中心の物の見方から出ていることにお気づきでしょうか?

神の癒しは神の主権によってなされますから、癒やされることが御心の場合もありますし、癒やされないことで神の栄光を現す場合もあります。

しかし、私たちは自分中心に考えますから、「自分が信仰を持っている」という地点からしかものを見ることができません。

従って、「これだけ信じているのになぜ神は癒やされないのか?」と疑問に思い、戸惑うわけです。

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自分を中心とせず、神を中心として物を見るとは、

「神の栄光が現されるために物事は起きている」

と考えることです。

自分が癒やされたら神がいる、癒やされなかったら神はいないという考え方では信仰はわからなくなります。

肝心なことは、自分の救いなど神の大きなご計画の中のほんの一部であって、自分が助かることが最重要視されているのではなく、神の栄光が現されるために物事は動いているのだ、と達観することなのです。

ただし、自分が癒やされることをあきらめてはいけませんし、希望を持ち、治るための努力をすることは必要です。

自分が治った姿だけを見つめて治療やリハビリに励む人と、治らなかったらどうしようと不安な将来を見つめている患者さんとでは、治り方の違いは明らかです。

しかし、一旦、自分を主役とすることから離れて脇役と見なし、神の栄光が現されることがメインなのだとして、上空の天から遥か下の地上を見下ろすような感覚で見てみるのです。

それが自分から離れて神の視点からものを見るためのひとつの方法です。

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神中心ということを考えるために、惑星の話が役に立つかもしれません。

夜空の星は規則正しく動いていますが、火星や木星などの「惑星」と言われる星は、行ったり来たりの不規則な動きをし、文字通り人を惑わす星として堂々と輝いています。

これは地球を中心として天体が動くと考える「天動説」に立って見ているからです。

しかし、実際は地球のほうが太陽の周りを動いている「地動説」の方が正しいことはすでにご存知でしょう。

地球も実は太陽の周りを回る惑星のひとつであり、太陽を中心として天体の運行を考えると、複雑に見える惑星の動きは単純な仕組みで説明することができます。

地球中心でなく太陽中心に考えてみる。

自分中心でなく神中心に考えてみる。

そうすると、惑星のように自分を戸惑わせる出来事が、スッキリと受け入れられるようになっていくことでしょう。

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最後に、前回の繰り返しになりますが、神の基本的御心は私たちが癒やされることです。

魂が救われ、心も体も健康であることを神は望んでおられます。

しかし、何でも自分の思い通りになるのではなく、神の栄光が現されようとする中でのみわざのひとつとして自分の癒やしがあるのだと理解することです。

願わくは、主の癒やしがありますように…。

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