今日のみ言葉【No.321】(2012年 6月 1日)
その夜、主がパウロに臨んで言われた、「しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない」。
(使徒23:11)
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パウロは窮地に陥っていました。
エルサレムの議会で証言する際に、議員たちが死者の復活を信じないサドカイ派と、信じるパリサイ派に分かれていることを見て取り、
「兄弟たちよ、わたしはパリサイ人であり、パリサイ人の子である。わたしは、死人の復活の望みをいだいていることで、裁判を受けているのである」
(使徒23:6)
と言ったことが原因です。
彼はパリサイ派の人々を味方につけようとしたのか、議会を神学論争の場にしようとしたのか、その意図は聖書には書いてありません。
ただ、彼の人間的操作で議会工作をしようとしたのが失敗したことは明らかでした。
この後、ユダヤ人らはパウロ殺害の陰謀を企てるほどに彼を憎みだしたのです。
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パウロはストレートに
「自分はパリサイ人だったが、今はクリスチャンだ」
と言えば良かったのです。
しかし彼の人間的智恵は、「パリサイ人である」と言わしめたのです。
ここに彼の反省点があります。
神のために働くことは良いのですが、自分の力で神の業を進めていくのだと考え出すと、思わぬ事態に陥り、にっちもさっちも行かなくなるのです。
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このような中で、神は、
「しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない」
と、ローマで伝道するというご計画を語られました。
神の言葉を聞くとはこういうことです。
自分の命が風前の灯火で、明日のことさえ分からないこの夜に、
「お前はローマに行く」
と、パウロ自身が思いもよらない言葉を聞いたのです。
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パウロが失敗したのは良きことでした。
彼はこれで、自分のために神を働かせる、という道は正しい道ではない、ということを学んだからです。
そして、自分が神の御用のお供をしていく時に、神の力が強大に働くことを学びます。
この後、一人の囚人パウロのために約500名のローマ兵部隊が護衛をし、彼をカイザリヤに連れて行き、ローマでの裁判という道が開かれていくのです。
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今日も神様のお供をして参りましょう。
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