今日のみ言葉【No.322】(2012年 6月 2日)
さて、この男は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります。
(使徒24:5)
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パウロを訴えに出たユダヤ人らは、パウロをこう表現しました。
「この男は、疫病のような人間で」
パウロがいると周りの人々はその影響を受け、次々とイエス様を救い主として信じ出す光景が一言で表されています。
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なぜ彼らがこのように言ったかというと、支配者側からするとパウロは、
「世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者」
と見えたからです。
支配する側としては、現体制が維持され、何も起きないことが好ましいのです。
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イエス様誕生の折、東方からの博士たちが星に導かれ、ヘロデ王に謁見した時も同じです。
当然のごとく、ヘロデは不安を感じました。
新しい王が生まれるということは王である自分が追い出されることを意味し、身の危険を感じたからです。
しかし意外なことに、
「エルサレムの人々もみな、同様であった。」
(マタイ2:3)
とあります。
救い主を待ち望んでいるはずの人々も、同じように不安感を抱いたのです。
新しい王誕生の知らせは、王の後継者争いという戦の予感を呼び起こし、自分たちの今の平穏な生活が乱されるという恐れを感じたからです。
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真理に立って生きようとすれば、波風が立つのは当然です。
「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。」
(マタイ10:34-35)
というイエス様の言葉は、その辺りの消息を語っているのです。
平和な生活だけを求めるなら、周りと妥協し、自分が負けてあげればよいのです。
但し、その生き方では自分の命が徐々に失われていくことでしょう。
疫病のようにイエス様を伝えていったパウロのような生き方を選ぶか、己が身の安全を最優先にするか、人生は選択です。
しかし、自分も人も永遠の命で満たされる生き方をしていきたいものです。
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神の真理を見出す一日として参りましょう。
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