今日のみ言葉【No.1312】(2016年 6月24日) 010 「沖へこぎ出したシモン・ペテロ」(2)

「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」
(ルカ5:5)

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私の知り合いのお医者さんに聞くと、医師の診察は患者が診察室のドアを開けた時から始まっているそうです。

ドアの開け方、その時の姿勢、顔色、椅子に座るまでのスリッパの音、それら全てから情報をキャッチし、大体の様子をつかむのだそうです。

私は椅子に座って自分の症状を話す時から診察が始まると思っていましたが、そのはるか以前から医師の仕事は始められていたのです。

プロとは恐ろしいものです。

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漁師としてのプロであったシモン・ペテロも相当な能力を持った人でした。

彼は網元であったことがわかっていますから、今で言えば漁業組合長のようなリーダー格でした。

その人が全力を出しても魚がとれなかったのに、漁には素人のはずのイエス様が

「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」
(ルカ5:4)

と声をかけてきました。

この言葉に対して、シモンは明らかに抵抗感を示しています。

「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。」
(ルカ5:5)

彼の心の中には、次のような考えが浮かんでいたことでしょう。

・自分は長年ここで漁をしているプロである。
・昼、魚がとれないことは常識。
・魚がとれる場所は決まっている。

しかし、シモンの人生の転換点は、その次の言葉を発したことでした。

「しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」
(ルカ5:5)

自分の世界だけにいるところから、彼は自分が理解できない世界に一歩踏み出しました。

自分を「従」とし、イエス様を「主」としたのです。

結果として大漁の恵みを体験することとなりました。

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興味深いことに、英語の聖書ではこの「網」が複数形(nets)になっているものと単数形(net)になっている訳があることです。

イエス様の言う網は、どの聖書の訳も複数形の"nets"ですが、ペテロの方は単数形と複数形の両方の場合があります。

イエス様は「網全部をおろしてみなさい」と言われたのに対し、シモン・ペテロは半信半疑で、「では、まず1つおろしてみましょう」となったのかもしれません。

不十分な従い方であっても、自分の意志を捨てて神に従う方向に一歩進み出ることが重要なのです。

イエス様は

「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。」
(マタイ17:20)

とおっしゃいました。

どんなに小さなものでも、そこに命があるかどうかが問題なのです。

イエス様は神に従う命を育てて下さいます。

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「お言葉ですから」と、神に従う選択をする一日として参りましょう。

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