今日のみ言葉【No.1041】(2015年 5月19日)

ああ、アッスリヤはわが怒りのつえ、わが憤りのむちだ。
(イザヤ10:5)

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大阪都構想が否決され、橋下徹市長は政界引退を発表しました。

大阪市民の審判が下されたのです。

ニュースを見ると、意外にもスッキリした笑顔で記者会見に臨む橋下氏の姿がありました。

「やるだけやった」という満足感があったのでしょう。

と同時に、これは全く個人的印象ですが、「後はどうなっても僕は知りませんよ」という大阪市民を突き放すような思いが見え隠れしているように感じました。

この後どうするか。

次は大阪市民が裁きの場に出される番のような感じがします。

しかしそれは他人事ではなく、少子高齢化の日本に生きる私たちが、いずれ同じように直面しなければならない問題となって現れてくるのでしょう。

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イザヤ書第10章は、困難な現実の背後に裁きの神の存在があることを明確に語っています。

神は不信のイスラエルを裁くための器としてアッスリヤという外国の軍隊を用いられました。

それが今日の聖句が意味するところです。

神は神に逆らい傲慢になったイスラエルに審判を下されたのです。

ではアッスリヤという国が正義かというとそうではありません。

アッスリヤもまた神を恐れず、高慢になり、イスラエルの神など何するものぞ、という態度を取りました。

「国々のすべての神々のうち、その国をわたしの手から救い出した者があったか。主がどうしてエルサレムをわたしの手から救い出すことができよう」
(列王紀下18:35)

驕り高ぶりです。

神はこのアッスリヤにも裁きを下されます。

「主がシオンの山とエルサレムとになそうとすることを、ことごとくなし遂げられた時、主はアッスリヤ王の無礼な言葉と、その高ぶりとを罰せられる。」
(イザヤ10:12)

自分の力で全てが成ったと思い込み、全能の神と自分との位置関係が把握できないと、人は自分を神の位置に置き、自分が傲慢になっていることを知らないままで走っていきます。

ブレーキの効かない車でアクセルを踏み続けるようなものですから、やがてどこかで衝突するか、崖の下に転落するか、大きな代償を払わされて止められるまでこれが続くのです。

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「ゆるされた罪人」として謙遜に生きることが鍵なのです。

人からほめられ、正当に評価された時は喜びましょう。

それを、

「いえいえ、私なんかダメなんです」

と心にもないことを言い、実は内心、

「やったー!」

と叫ぶ本音を隠していても、神は全てお見通しです。

ほめられた時は、

「ありがとうございます」

と言ってニコニコしていれば良いのです。

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しかし、何かフワ〜っと浮き上がる感じがして、

「私も捨てたもんじゃないな」

と劣等感の裏返しの優越感に浸りそうになっているのなら要注意です。

その時は、大慌てで謙遜になりきりましょう。

ほめてくれる相手のさらにもう一枚下に潜って、

「とんでもない、皆様のおかげ、そして何より神の支えがあったおかげです」

と下へ下へと伸びていくのです。

この姿勢があなたをいつの日か救います。

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神様はあなたのどちら側にいらっしゃいますか?

自分を神の下に置き、謙遜の衣をまといながら、今日一日を着実に進ませていただきましょう。

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