今日のみ言葉(2012年 5月16日)【No.307】

そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。
(使徒9:17)

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使徒行伝9章にはキリスト教の迫害者サウロ(後のパウロ)の回心が描かれています。

彼はクリスチャンを迫害することが神の御心であると信じて疑わず、エルサレムから200キロ以上も離れたダマスコまで出かけていき、そこにいるクリスチャンたちを捕らえようとしたのです。

しかしダマスコ間近まで迫った所で、彼は天からの光に照らされ、自分が迫害しているイエスこそ救い主メシヤであることを悟ります。

自分は神の御心を歩んでいたつもりが、全く反対で神に敵対していた、という事実が明らかにされ、

「彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。」
(使徒9:9)

というほどの衝撃を受けました。

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そんなことは知らないアナニヤという弟子の前に神様が現れ、サウロに会いに行けと命じます。

アナニヤはサウロがどんなにひどいことをしていたか知っていたので、神の命令に初めは抵抗します。

無理もありません。サウロと出会ってしまったら捕らえられることは必至だったのです。

最後に彼は神に従います。アナニヤは死を覚悟して行ったことでしょう。

しかしそこにいたのは力無くうつむいていたサウロでした。

アナニヤは神の言う通り、彼のために祈りました。

サウロの目は見えるようになり、元気を取り戻し、新たにキリスト教の伝道者として出発し始めたのです。

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私たちが勇気を出して愛の業をなす時、それは本当に小さいものに過ぎないかも知れません。

しかし、1個のりんごの中の種は数えることが出来るが、その種から何個のりんごが実るかは数えることが出来ないように、愛の業の影響は神様しか知らないのです。

サウロはアナニヤだけでなく、この後、バルナバの世話も受け、彼の仲介によってエルサレムの使徒たちの仲間に加わることが出来ました。

大伝道者パウロは独力でそうなったのではなく、多くの人々の愛の業の支えによって育まれていったのです。

私たちも今日、神のみ声に耳を澄ます時、どなたかへの愛の業を示されたら、ためらわずにその御声に聞き従っていきたいものです。

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神様は名もない無数の人々の愛の業をお用いになられます。

使徒,御言葉

Posted by maruyama