今日のみ言葉【No.2514】(2021年 4月15日)「キリスト教イロハ(146)『放蕩息子(1)』」

レンブラント・ファン・レイン『放蕩息子の帰還』1666-68年 エルミタージュ美術館

それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
(ルカ15:13)

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芥川龍之介が「短編小説の傑作」と激賞したと言われるのがルカ15章の放蕩息子のたとえ話です。

教会に行けば、どこかで必ず聞く有名な話でもあります。

ルカによる福音書第15章11節〜32節は、キリスト教に触れる人ならぜひ読んでおくべき箇所です。

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放蕩息子のたとえ話は、神と人間との関係が正常なものとは程遠い現状にあることを教えています。

主要な登場人物は、父とその息子二人、兄と弟です。

弟息子は父から財産を無理に分けてもらい、旅に出ます。

「それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き」
(ルカ15:13)

彼は生前贈与してもらった貴重なお金を元手にして一旗揚げ、故郷に錦を飾れるように頑張って働いた…、のではありませんでした。

弟息子は親から離れて遊び暮らしました。

自分の思うがままに不道徳な浪費生活を送ったので、彼のことを「放蕩息子(ほうとうむすこ)」と言うのです。

その結果、

「そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した」
(ルカ15:13)

となってしまいました。

彼は生活に困り、

「豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほど」
(ルカ15:16)

でしたが、

「何もくれる人はなかった」
(ルカ15:16)

という状況に陥りました。

お金で結ばれた関係は、お金が無くなった瞬間に切れます。

その類(たぐい)の人たちは、潮が引くように去るのです。

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そこで初めて彼は父を思い出します。

弟息子は故郷に帰り、父に「罪を犯しました」と告白します。

すると父親は彼を責めもせず、息子の帰りを祝うために祝宴を開きます。

「このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった」
(ルカ15:24)

この父とは愛の神を指します。

弟は罪人(つみびと)である私たち人間です。

神に立ち返る時、真の幸福があることをこのたとえ話は教えています。

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いつ、どんな時でも、悔い改める魂を神は受け入れて下さいます。

愛の神のもとに帰る今日として参りましょう。

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