今日のみ言葉(2012年 4月26日)【No.295】
イエスを裏切ったユダは、その所をよく知っていた。イエスと弟子たちとがたびたびそこで集まったことがあるからである。
(ヨハネ18:2)
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イエス様は夜ゲッセマネの園で捕らえられましたが、月明かりや星明かりしかないその当時、ローマ兵たちはよくその居所が分かったものだと思います。
それはイスカリオテのユダが裏切り、彼が案内役となったからです。
夜の暗闇のなかでも「あのオリブの木のある所だ」と探し当てられる程、祈りの場所が決まっていたのです。
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イエス様でさえ祈りの場所を決め、そこで神様に祈っているとしたら、人間である私たちも祈りの時間と場所を決めて祈るべきでしょう。
その時間はとにかく祈る、と決められてしまうと、祈りが何か形式的なものになってしまうような感じを持たれるかもしれません。
祈りたい時に祈る、示された時に祈る、ということが真の祈りのようにも思いますが、それでは祈りの生活は続けられないことはやってみればわかります。
イエス様の謙遜さに学ぶ一日としたいものです。
「ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。」
(ダニエル6:10)
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気分の乗る乗らないは別として、「神様…」と一言つぶやくことだけでも忠実な祈りとして神様はお聞きになります。
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