今日のみ言葉【No.2194】(2020年 2月 6日)「キリスト教イロハ(45)『キリシタン』」

2020年2月6日

「真鍮踏絵十字架上のキリスト」
(元・長崎奉行所保管。現・東京国立博物館所蔵)

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。
(第2テモテ4:7-8)

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2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に認定されました。

学校の社会科の時間で日本のキリスト教の歴史を学ぶ時、必ず聞く言葉がこの「キリシタン」です。

信仰の先達の純粋な信仰にはただただ感動するばかりです。

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日本に初めてキリスト教を伝えたのはフランシスコ・ザビエルです(1549年)。

このキリスト教に対してつけられた呼び名が、ポルトガル語から転化したキリシタン(吉利支丹)です。

織田信長はキリスト教を保護しましたが、その後を受けた豊臣秀吉から徐々に厳しくなり、ついに徳川幕府が1612年に禁教令を出し、以後、明治の時代までキリスト教の弾圧が続きました。

キリシタン禁制後は「隠れキリシタン」として人々は信仰を持続しました。

そのため、習慣、用語等に独特のものが継承されています。

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キリシタンが迫害されながら信仰を守り抜き、ついには殉教の死を遂げたことが各地の遺跡によって知られています。

山形県米沢市の北山原(ほくさんばら)殉教遺跡では、幼い子供を含めて57名のキリシタンが処刑されました。

その詳細は米沢市の広報やホームページに記されています。
http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/1773.html

当時の上杉藩には甘粕右衛門という上級武士が率いるキリシタンがおり、殿様は幕府の命令を知りつつ、キリスト教を暗黙の内に保護していました。

しかし、藩内部での意見の相違があり、徳川幕府へキリシタン信徒の報告が上げられ、危険を察知した殿様は甘粕らに棄教を促しました。

しかし彼らは応ぜず、寛永5年12月18日(太陽暦の1629年1月12日)、真冬の雪の中、街外れの処刑場まで行進し、そこで斬首刑に処せられました。

バチカンにはこの様子を報告した宣教師の文書が残されており、

「首と手が同時に落ちた」

という記述があるそうです。

彼らは手を前に合わせ、祈りの姿勢のまま首を切られ、天国に凱旋していったのです。

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血を流した先輩たちの祈りがあって、私たちの信仰が支えられているのでしょう。

神の恵みを存分に受けて、私たちの信仰に励む今日一日として参りましょう。

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