今日のみ言葉【No.2497】(2021年 3月26日)「神の介入(2)」

そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
(ルカ1:34)

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童謡「赤とんぼ」の3番の歌詞に

「十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた」

とあります。

昔は数え年15、満年齢の14歳辺りの年頃で結婚していたことがわかります。

マリヤが受胎告知を受けた時は、本当にまだ少女だったのです。

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神の告知は人間の頭では理解できません。

ですから、マリヤが

「どうして、そんな事があり得ましょうか」
(ルカ1:34)

と言ったのも頷けます。

ところで、祭司ザカリヤも子が与えられると告げられた時、同じことを御使に言っています。

「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか」
(ルカ1:18)

ところが、彼は罰を受け、マリヤは何でもありませんでした。

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これはなぜなのだろうかと考えてみる時に、思いつくひとつの答えがあります。

それは、ザカリヤが経験を積んだ年配者であり、しかも聖職者であるのに対して、マリヤはまだ年端も行かぬ小娘だったからということです。

しかし、聖書をよく読むと、彼は

「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか」
(ルカ1:18)

と、暗に

「自分にわからせるためには『しるし』が必要ですよ。天使様、それを見せて下さい」

と言っているのが伺えます。

彼は、人間の自分が理解できるような「しるし」を要求したのです。

つまり、ザカリヤの方が神の使いよりも上に立ち、婉曲的に命令していたというわけです。

これは傲慢です。

ですから、この御使は怒りました。

「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって」
(ルカ1:19)

彼はわざわざ自分の名を告げ、御使たちの中でも非常に位の高い存在であることを明かします。

まるで

「どの御使いでも神の前に立てるというわけではない。しかし、私は神のみ前に出られる存在なのだぞ!」

と言っているかのようです。

ザカリヤは物が言えなくなるという裁きを受けました。

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一方、マリヤの場合、彼女はこう言いました。

「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」
(ルカ1:34)

これはザカリヤのような「しるし」を求める態度とは違い、子が与えられるための「手順」のことを言っています。

マリヤは御使の言葉を受け止め、それを達成するためにはどうしたらいいのか、という思いでいます。

ここが二人の違いです。

ですから、天使ガブリエルも

「神には、なんでもできないことはありません」
(ルカ1:37)

と安心して言えたことでしょう。

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謙遜か傲慢か。

ここが人生の行き先を分けます。

「そう言われても、いつの間にか傲慢になっている自分だなあ」

と認めていることが謙遜ということです。

無理に優等生を生きようと頑張らず、罪人の自分を認め、その私をゆるすために十字架につかれたイエス・キリストの恵みに浸りましょう。

そこから

「神には、なんでもできないことはありません」
(ルカ1:37)

という道が、一つ一つ開けていくのです。

今日も神の恵みで満たされる一日でありますように…。

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