今日のみ言葉【No.2496】(2021年 3月25日)「キリスト教イロハ(140)『羊と羊飼い』」

迷子の羊のたとえ話(ルカ15:1ー7)

わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
(ヨハネ10:11)

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日本で羊そのものの姿を見ることは稀ですが、ウール100%と表記されたニットやマフラーを見かけることがありますし、羊肉を使ったジンギスカン料理は山形県の蔵王が発祥の地だとも言われています。

聖書において、羊は私たち日本人が考える以上に大切な動物でした。

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羊はイスラエルの人々にとって、生活や財産と密接に結びつく存在でした。

羊の乳は飲食物に、角はラッパとなり、羊毛はもちろんのこと、その皮はなめした後で新しいぶどう酒を作る時の発酵に用いられました。

何よりも、羊は神に捧げる犠牲の動物です。

その大切な羊を守るのが羊飼いです。

彼らは手に杖と棍棒を持ち、腰には石投げを持って、命がけで羊を守りました。

このような羊と羊飼いの密接な関係から、イエス・キリストとクリスチャンの関係が非常によく理解されます。

大牧者であるキリストは、その羊、つまり、キリストを信頼する者たち(クリスチャン)を命がけで守ります。

「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる」
(ヨハネ10:11)

羊はそのような羊飼いの存在を体験的に知っているので、その声に聞き従います。

「羊はその声を知っているので、彼について行くのである」
(ヨハネ10:4)

その先には、神が用意された豊かな命の世界があります。

「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」
(ヨハネ10:10)

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ある時、

「先生、私は頭が悪いので、聖書を読んでも説教を聞いてもよくわかりません。でも、神様の御心の通りに生きたいと思います。どうやったら『こっちが神様の方向だな』とわかりますか?」

という率直な質問を受けたことがあります。

しばらくの時間、その人に羊と羊飼いの話をし、

「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」
(ヨハネ10:10)

という御言葉を示しながら、私はこう言いました。

「あのね、神様は羊である私たちの命を豊かにしようとされる御方なんだ。だから、『なんだか命がしなびていくようだなあ』と感じたら、それは神様の方向ではないということですよ。そして、『なんだか命が踊るなあ』と感じて生き生きするようなら、そちらが神様の方向だよ」

かなり単純化して話しましたが、これがその人にとって良かったようです。

ニコニコしながらお帰りになり、その後も平安なお顔を見ることはありましたが、私のところに相談に来ることはピタリと収まりました。

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大牧者であるイエス様の声を聞き分け、今日も命の世界を歩んで参りましょう。

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