今日のみ言葉(2012年 4月19日)【No.289】
その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
(ヨハネ12:3)
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マリヤは弟ラザロを死からよみがえらせて下さった感謝として、高価で純粋なナルドの香油をイエス様の足に注ぎました。
その当時の女性が婚礼の席で初めてその器を割って使うのですから、相当高価な物です。
それを捧げても足りないほどの感謝を彼女は表したのでした。
なぜなら、ラザロはただ単純に死から命に移ったのではなく、その死をイエス様がその身に引き受けて下さったことを彼女は直感的に分かったからです。
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これとは対照的に、イスカリオテのユダはマリヤの行為を批判しました。
「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」
彼は会計係で、しかもその内容をごまかしていたのでそう言ったのでしたが、彼の信仰は自分あっての信仰でした。
信仰のために自分が苦しくなったり貧しくなったりするのはおかしいだろう、という理屈です。
それも一理あります。
しかし、ユダにとって奇異に見えた行為も、マリヤにとっては、イエス様の命が注がれたのだから、何をもってしてもお返しにはならない、という気持ちだったのです。
イエス様の命を受けた、ということは、人の思いを燃え立たせます。
命を賭けてまでも愛されたという記憶は、その人の人生の宝となり、前に進ませるエネルギーとなります。
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イエス様が与えて下さっているものを思いめぐらして参りましょう。
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