今日のみ言葉【No.2489】(2021年 3月 9日)「視点の転換」
すると主の御使が現れて、香壇の右に立った。
(ルカ1:11)
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真夏の海辺でのスイカ割り。
目隠しをした人が棒を持って、「ここか?」というところで振り下ろしますが、叩くのは砂浜です。
周りの応援団は見えていますから、
「もう少し前に行け!」
「惜しい、30センチ外れた。すぐ右にあるぞ!」
などと声援を飛ばし、ぐんぐん目標に近づく成功体験を目にしています。
ところが、目隠しをされた当の本人にしてみれば、何をやってもダメで、やることなすこと、ことごとく失敗しているとしか思えません。
現実は同じなのに、視点が違うと全く違った感覚となるのです。
祭司ザカリヤは、人間中心に見る視点から神中心に見る視点へと転換するようにと御使を通して導かれました。
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ザカリヤとその妻エリサベツは正しい人でした。
ところが、彼らには子どもが与えられません。
聖書に書いてある通りの正しい生き方をしてきた人であるがゆえに、現実がその通りにならないという苦しみを彼らは体験していました。
しかし神の視点からすれば、彼らはいよいよ祝福を受け取る地点に到達したのです。
ザカリヤが神殿での奉仕に当たった時、何の前触れもなく、
「すると主の御使が現れて、香壇の右に立った」
(ルカ1:11)
という出来事に遭遇します。
「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい」
(ルカ1:13)
つまり、スイカは目の前にあるから、そのことを信じ、あなたは持っている棒を振り下ろせ、と御使いは告げたのです。
ここで彼は、自分中心の考えから抜けきれず、一気に神の側に行くことはできませんでした。
「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」
(ルカ1:18)
彼の霊的目が開かれるには時間が必要でした。
ザカリヤは神が定められた期間、一切物が言えなくなったのです。
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納得できたら信じようという態度は理性的ですが、まだ神が主人ではなく、自分が主人である状態です。
誰でも、自分中心から神中心へ変化せよとチャレンジを受ける時があります。
スムーズに移り変われれば幸いですが、その人なりの状態があり、時間がかかることがあるでしょう。
しかし、目を神に向けてさえいれば、神の導きが絶えることはないのです。
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ザカリヤは子が誕生した時に神のみわざがわかり、
「口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた」
(ルカ1:64)
となりました。
私たちもその時があることを信じ、一歩々々、スイカに向かっているのだと思い描きながら今日の一日を歩んで参りましょう。
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