今日のみ言葉【No.2474】(2021年 2月18日)「キリスト教イロハ(132)『隣り人』」
「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」
(ルカ10:36)
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キリスト教では「隣人愛(りんじんあい)」という言葉をよく聞きます。
私の「隣り人(となりびと)」とは誰でしょうか?
これを明らかにしているのが「善きサマリヤ人」のたとえ話です。
イエス様はこのお話を通して、
「私を必要としている人が私の隣り人である」
と教えています。
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(まずはルカによる福音書第10章30節〜35節をお読み下さい。)
ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
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このお話をかいつまんで言うとこうです。
「強盗に遭って倒れている旅人を見て、祭司とレビ人(現代の牧師や教会スタッフとお考え下さい)は関わり合いになるのを避けたが、ユダヤ人から軽蔑されていたサマリヤ人はその人を助けた」
このたとえ話の後、イエス様は
「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」
(ルカ10:36)
と語られました。
ここで大事なことは、先に律法学者が
「わたしの隣り人とはだれのことですか」
(ルカ10:29)
と尋ねたのに対して、イエス様は
「だれが、…、隣り人になったと思うか」
と質問の内容を微妙に変えている点です。
律法学者は、言葉には出していませんが、
「隣り人なら愛する。しかし、隣り人でないなら愛さなくてよい」
という立ち位置にいて、人を選別しています。
しかし、イエス様が教える真の隣人愛は人を選びません。
むしろ、自分こそ誰かの隣り人になれ、と教えておられるのです。
つまり、その時、その場所で、自分を必要としている人が私の隣り人だということです。
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今日出会う人の隣り人になっていく人生を送って参りましょう。
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