今日のみ言葉(2011年8月19日)【No.149】
「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みき
らわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」
(イザヤ53:3)
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イザヤ書53章は「苦難の僕(しもべ)」のメシア預言として有名です。
イザヤ書53章はあまりにもキリストの生涯と一致しているため、キリスト誕生以降の後代
の加筆であろうという説もありました。
ところが、1947年にイスラエルの死海近辺の洞窟で、若い羊飼いが多くの壺を見つけたこ
とから、この説は覆されました。
陶器製の壺の中には多くの巻物が収められていました。驚くべき事にそれらは旧約聖書の
巻物でした。いわゆる「死海文書」の発見です。
科学的測定により、間違いなく紀元前のものだと保証され、イザヤ書はキリスト誕生以前
に書かれたものだと証明されたのです。
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キリストは、悲しみも病も侮辱も無視も、全て身をもって体験され、その苦しみを知り尽
くし、慰められることなく捨てられました。
聖書は、それは私たちの罪のためだったと語ります。
「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われ
われはいやされたのだ。」(5節)
その事で私たちは罪責感を持つ必要はありません。キリストは喜んでその身に罪の刑罰を
受けられたからです。
ここにキリストの愛があります。
その無条件の愛に報いるとは、私たちが平安を味わい、癒された喜びの中で感謝を持って
生きることです。
自分を責める必要はありません。キリストが既にその責めを負って下さったからです。
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私たちが生まれる前から私たちを愛していて下さるキリストと共に今日も一日歩んで参り
ましょう。
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