今日のみ言葉【No.2445】(2021年 1月14日)「キリスト教イロハ(124)『洗礼』」

『キリストの洗礼』 ヴェロッキオ、ダ・ヴィンチ作(1475年)

あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。
(マタイ28:19-20)

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プロ野球で新人投手が相手チームから散々打ち込まれた時、

「プロの洗礼を浴びました」

という表現がなされることがあります。

最近の放送業界では宗教用語を比喩としては使用しないようにする傾向があるので、今後は聞かれなくなるかもしれません。

洗礼という言葉から一般的日本人がいだくイメージは、たとえばそのプロ野球なら、

「ホームランを打たれるなどごく当たり前で、プロの面々からすればどうということでもないのだが、部外者や入りたての者にとっては一段も二段もレベルが高く難しいこと」

というものではないでしょうか。

実際のキリスト教の世界の内側にいる者にとって、洗礼式があるのは日常的なことですが、教会に来て間もない人が洗礼を受ける決心をするまでにはやはり高い壁を感じるようです。

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では、聖書が言う洗礼とは何でしょうか?

今日の聖句は大宣教命令と言われる箇所ですが、その中に

「彼らにバプテスマを施し」

とあります。

このバプテスマが洗礼です。

新約聖書は当時の公用語であるギリシャ語で書かれています。

「浸す」という意味のギリシャ語の名詞形がバプテスマで、これがそのまま使われているのです。

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実際の洗礼の風景を見てみると、水の中にザブンと入れられ、びしょ濡れになって出てくるシーンが印象的です。

これには、水の中に完全に浸されることでキリストの死に与(あずか)り、そして、その水の中から引き上げられることで、キリストと共に復活するという意味が込められています。

つまり、古い自分に死んで、神とキリストとを中心とする新しい自分に生まれ変わるということです。

洗礼式は、

「私は自分が罪人であることを認め、その罪を悔い改め、キリストによる罪のゆるしが与えられて新しく生まれたことを信じます」

という信仰を公に表すことであり、キリスト教会の一員となるための聖礼典です。

ちょうどそれは結婚式にたとえられます。

当人同士が愛し合い、役所に婚姻届を出せば結婚は成立しますが、そのことを公に表すために結婚式をします。

ですから、洗礼を受けた後は、

「私のような者でもクリスチャンにさせていただき、永遠の命をいただいた喜びにあふれて生活しています」

と神を証ししながら生きていけば良いのです。

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洗礼を受けるかどうか迷っている人がいたら、迷って当然、そこに高い壁を感じていることを理解して差し上げましょう。

そして、古い自分に死んで新しい自分に生まれ変わる恵みを丁寧に語らせてもらうのです。

そこまでがあなたの役目。

その人の心の中まで入って動かし下さるのは聖霊です。

後は神の霊的働きに任せ、私たちは祈るのです。

その意味で、今日も神にゆだねて祈る一日として参りましょう。

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