今日のみ言葉【No.2426】(2020年12月10日)「キリスト教イロハ(119)『聖化』」
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
(ヨハネ15:5)
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何事も成し遂げるまでにはそれ相応に時間がかかるものだ、という意味のことわざで、
「桃栗三年柿八年」
があります。
クリスチャンの霊的成長である聖化もそれと同じで、長い年月を必要とします。
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人はイエス・キリストを自分の罪からの救い主と受け入れた瞬間に救われます。
神の前にあるその人の立場がガラリと変わるからです。
罪がキリストに転嫁されたので、その人はもう罪人(つみびと)ではなく義人(ぎじん)として神様はお取り扱いになられます。
これを「義認(ぎにん)」と言います。
人間の側で聖くなろうとする努力は一切必要ありません。
ただ信じるだけで
「あなたは神の前で義(ただ)しい人です」
と認められ、神の子として迎えられるのです。
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ではその時点で瞬間的に聖人となり、一切罪の行為はしなくなり、良いことだけをする人間になるのかというと、そうではありません。
信仰によって義認の恵みにあずかるとは、神の目からあなたの中に罪が認められなくなるだけで、人の心の内側には罪の性質がそのまま残っているのです。
神の御心を行い、正しいことをしようと思っても、内面の肉の思いに負けたり、罪の誘惑に乗ったりすることが続くのはそのためです。
この「古い人」が「新しい人」に取って代わられるためには、聖霊の力が必要です。
聖霊を心に迎え、その働きを妨げないように生きる時、聖霊は私たちをキリストに似た者へと成長させてくださいます。
この霊的成長を聖化と言います。
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義認は一瞬ですが、聖化には長い時間がかかります。
ちょうどそれは「桃栗三年柿八年」のことわざのようなものです。
すでに芽を出した時点で、それは桃であり、栗であり、正真正銘の柿であることは間違いありません。
そのように、まだ実を結んでいなくても、救われたクリスチャンであることは間違いないのです。
しかし、目に見える「実」がなるまでには時間を必要とし、待たなければなりません。
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さて、桃栗柿が実を結んでいくための条件は何でしょう?
それは、ただ枝につながっていることだけです。
イエス・キリストはそのことをこう言われました。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」
(ヨハネ15:5)
キリストにつながり、聖霊にゆだねているうちに、私たちの内側が徐々に変えられていき、やがて豊かな実を結びます。
「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」
(ガラテヤ5:22-23)
それは自分で努力して得た実ではないので、ただ神のみわざを賛美し、神の栄光をほめたたえる時となります。
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聖霊の導きに従い、聖化の恵みを受ける今日として参りましょう。
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