今日のみ言葉【No.2409】(2020年11月19日)「キリスト教イロハ(114)『信仰生活(2)』【礼拝出席】」
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。
(ヨハネ4:23)
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「洗礼を受けたら毎週日曜日は礼拝に行かなきゃならないんでしょ。それって束縛じゃん?」
という質問は今も昔も日本のどこかで繰り返されてきました。
自分の自由が制限されることに抵抗感を持つ気持ちは理解できます。
さて、これが毎週日曜日だけ会える恋人がいたとしたらどうでしょう?
その日になれば、自分の自由になる時間を相手のために使い、恋人を喜ばせようとして犠牲を払います。
そこには制限も束縛も無いどころか、自ら進んで制限と束縛の中に飛び込んでいきます。
そして何の苦痛も感じず、むしろ幸福感の中に埋もれる時間を過ごします。
礼拝とはそのように神との愛の関係の中で考えるべきものなのです。
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わざわざ休みの日である日曜日に教会に行き、礼拝に出席するのはなぜでしょう?
救い主イエス・キリストは金曜日に十字架にかかり、3日後の日曜日の早朝に復活されました。
そこで、多くの教会ではキリストが復活した日曜日を記念して礼拝を持ちます。
この私の罪のために命を捨て、愛してくださった御方に感謝を捧げ、そのみわざを賛美し、神として崇めに行くのが礼拝です。
この点で、自分の心に必要を感じた時だけ礼拝に行く、という出席の仕方は人間本位の考え方ですから、考え方を改めるべきです。
また、律法だから、掟だから、信者のつとめだから、という考え方で礼拝出席を固定させるのもあまりおすすめできません。
礼拝出席は、父なる神とキリストへの愛を土台とするからです。
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さて、現実的面を申し上げると、礼拝は信仰生活の要(かなめ)ですから、毎週の礼拝を欠かさず持つことを強くお勧めします。
礼拝に定期的に出ることで信仰が強められ、クリスチャンとして成長するのは否定できない事実です。
もちろん仕事や生活の都合や健康面、さらには教会内の人間関係等で行けない場合が出てくるでしょう。
基本問題の解答は「日曜礼拝厳守」で済みますが、応用問題の解答は別です。
その場合は、日曜日にこだわらずに他の日に礼拝するようにします。
現在はすでに新約の時代に入っているのですから、旧約の土曜日の安息日礼拝の律法からは解放されています。
私たちは自由に、それこそ毎日礼拝していてもおかしくはないのです。
現実的工夫として日曜以外の日の教会の集会を自分の礼拝の時としたり、場所にもとらわれず、屋外でも自宅でも良いと思われる場を選び、神の御言葉に触れるときを持ちましょう。
特にコロナ禍の2020年以降、インターネットで礼拝を公開する教会が急激に増えましたから、スマートフォンさえあれば、いつでもどこでもメッセージが聞けますし、賛美することも出来ます。
現在のようにYoutubeで無料で無制限に視聴できる時代がいつまでも続くわけではないでしょうが、時代が変われば、その時はその時で神様が別の礼拝の仕方を私たちの前に差し出して下さるでしょう。
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あらためて礼拝出席のことを考え、喜びと感謝の信仰生活を続けて参りましょう。
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