今日のみ言葉【No.2397】(2020年11月 5日)「キリスト教イロハ(110)『信仰』」

「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」
(マタイ9:22)

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結婚を決める際に、「この人が相手で本当にいいのだろうか」と多くの人が悩むと言います。

今までの人生で間違いを選ぶことを許されずに育ち、失敗を極度に恐れている人は特にそうでしょう。

すると、どうしても「みんなが正解だと思う人」を選びたくなります。

脳科学者の中野信子氏は、「選んだ答えを『正解』にしていくのが人生」だと言います。
(https://president.jp/articles/-/40006)

自分の決断を尊重し、迷うことも幸せの可能性を広げるものだとして受け入れていきなさい、という生きる力を養うための勧めです。

人生に迷いはつきもの。

むしろ、果たしてそうなるか断言できないからこそ信仰という行為が存在できると言えます。

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信仰という語は、ギリシャ語原典で「ピスティス」と言います。

この言葉には「真実と信頼」という2つの意味が含まれています。

ですから、信仰とは真実に信頼することです。

誰を信頼するのでしょうか?

この世界を造られた唯一の神と、その御子であり救い主であるイエス・キリストを信頼するのです。

どのように信頼するのでしょう?

真実に、つまり、真実なる神の約束は必ずその通りになると信じて人生を生きるのです。

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ここで注意しなければならないことは、神の約束は、現時点では果たしてそうなるかそうならないか、定かではないということです。

必ずそう成ると証明された出来事には信仰の入り込む余地はありません。

たとえば、朝になれば必ず太陽が昇りますから、

「明日、太陽が昇るだろうか?よし、昇ると信じて起きるぞ」

と言って夜寝る…、などということはありません。

本当にそうなるかわからない場合だけ、「信じる」ということができるのです。

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ですから、信仰を持ったから失敗の可能性は0%になった、というのではなく、やはり油断すればしくじる危険性は最後までつきまとうのです。

綱渡りの現実は変わらず、もう大丈夫という保証の手は見えないように感じる日々が続きます。

その中で、神の約束は必ず成る、と信じて生きているので、とうとう最後にはその綱を渡り切ることが出来ていた…、というのが信仰を持って生きる時に体験する現実です。

あるいは、綱から滑り落ちるかもしれません。

しかしそれで破滅が待っていたかというとそうではなく、第2、第3の綱が用意され、そこで再び神を信頼して生きる歩みが用意されていたという体験をする人もいるでしょう。

ですから、

「信仰を持ったから思った通りになる」

のではなく、

「現時点では必ずそうなるという100%の保証はないが、神は真実な方で約束を違えない御方だから、その神を信頼して生きる」

というのが正解なのです。

思った通り、願った通り、祈ったとおりの人生を送れることは稀です。

神を信じて生きる信仰の人生でも同じです。

しかし、神が与える人生は、思った以上、願った以上、祈った以上の人生なのです。

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今日も信仰の人生を送って参りましょう。

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