今日のみ言葉【No.2319】(2020年 7月13日)「キリスト教イロハ(86)『受難』」

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
(マルコ15:34)

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「遠足の 遅れ走りて つながりし」(高浜虚子)

この句を読んで浮かぶのは次のような情景です。

・遠足の子らの列

・そこから遅れて離れた子

・それに気づいて迎えに行く子

・列に戻るために手をつないで走る姿

・それを遠くから見守る先生の温かい目

・そして一緒になれた喜びの姿

奥行きの深さが感じられる句です。

このような暖かい愛の世界を取り戻すために、キリストは十字架で人間の罪のための犠牲を払わなければなりませんでした。

それが「受難」です。

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イエス・キリストの十字架の死を、キリストの受難と言います。

イエス様はゲツセマネの園で捕えられた後、鞭打たれ、いばらの冠を被せられ、手足を釘で貫かれて十字架につけられました。

その肉体的苦痛は想像に余りありますが、それに加えて極めて大きな精神的苦痛も味わわれました。

それが

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
(マルコ15:34)

との言葉に表されています。

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イエス様は通常、神を「父」と呼んでいました。

「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください」
(マルコ14:36)

イエス様が神様に使った呼びかけは「アバ」です。

これは日本語なら「お父ちゃん」、英語なら「ダディ」という親しみを持った感覚の語です。

イエス様と神様は極めて近い親子関係であり、考えも思いも同じで一体化していました。

それゆえに、「杯」という語で表される神の怒り、つまり十字架につくことを「わたしから取りのけてください」とお願いできたのです。

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ところが、神は息子イエスの願いを完全に拒否し、全く関係を切ってしまわれました。

神はそのひとり子イエスが十字架についた時点で、彼を全人類の罪を負う罪人と見なし、見捨てられたのです。

イエス様はもはや「父」という言葉でなく、「わが神」と他人行儀で呼ばなければならなくなりました。

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
(マルコ15:34)

この時以外、イエス様が神を「父」と呼ばなかった箇所はありません。

「アバ、父よ」と「わが神、わが神」との間には、相当の距離感があることを感じなければなりません。

少し考えてみましょう。

もしあなたが最愛の人の愛を失い、その人から捨てられ、

「あなたは誰ですか?あなたのことなんか知りません。もう二度と来ないで下さい!」

と拒絶されたら、心の痛手はどのようなものでしょうか。

これがキリストの受難の精神的側面です。

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このような受難の苦しみを受けてでも私たちを救おうとされたのがイエス・キリストです。

この方に愛されていることを信じつつ、今日の歩みを進めて参りましょう。

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