今日のみ言葉(2011年6月26日)【No.98】

2017年4月5日

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっ
ており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶよう
になる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」
(ヨハネ15:5)

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聖書で言う「死」とは、全てが無くなって終わり、ということではありません。

死とは「分離」を表します。命の源から「切れる」ということです。

どんなに美しく生けた花ても、既に鋏が入れられ根元から分離されているので、
聖書的概念では死んだ状態です。時間がたてば実を結ぶことなく枯れます。

人間関係で交流が無くなったり、夫婦や親子の間で会話が無くなったり、関係が
切れていれば、それは死んでいる状態です。

そのままでは命がないので、現状以上に良くなることがありません。枯れ衰える
のを待つばかりです。

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聖書は、死んでしまったらもう終わり、とは考えません。分離された結果が死な
ので、もう一度命につなぎ直せば生きると考えるのです。

神と人間をつなぎ直して命ある関係にするためには、その関係を切った「罪」を
取り除けばよいのです。それを自分の命を代償にしてなして下さった方がイエ
ス・キリストです。

罪は償うことによって無くなります。

車の運転で違反をしたら交通反則金を払います。払わなければその罪はいつまで
も残りますが、払ってしまえば罪はなくなります。

十字架の死は人間の罪をキリストが代わりに払って下さったということです。

そのことを信じるだけで人は無罪と認められ、神と人間の切れていた関係が再び
つながれます。

それから先は神の命が流れ込み、豊かな収穫のある人生を生きていけるのです。

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エンゼルマークで有名な森永製菓の創業者、森永太一郎はクリスチャンです。

彼は若い時に単身渡米し、菓子職人の修行をしました。その苦労の最中、親切なクリスチャンの老夫婦に出会い、洗礼を受け、日本に帰ります。

34歳で帰国後、洋菓子と一緒に福音を日本中の人に知ってもらおうと屋台の屋根に「キリスト・イエス罪人を救わんために世に来たりたまえり」という聖句を書いた看板を打ち付け、「ヤソの菓子屋さん」と人々から呼ばれるほどになりました。

やがてあの箱入りキャラメルが大ヒットします。それによって彼の神に対する態度はジェットコースターのように上がり下りしました。

「社業が飛躍的に伸びていく中、彼の信仰は一時冷え切ってしまいました。しかし、苦労を共にした妻の死を契機に改めて信仰に立ち帰ります。1923年、関東大震災の時には在庫品を全部無料で被災者に配りました。幹部が無謀だと反対すると『これは神様とお客様にお返しするのです』と答えたといいます。社長の職を退いた後は、『我は罪人の頭なり』と題して、全国の諸教会で力強く伝道をして回りました。」
(日本キリスト教団荒川教会HP キリスト教人物小伝(06)より,http://www2.plala.or.jp/Arakawa/christian06.htm)

人間はどんなところからでも神に立ち返れば、その関係は復活し、実を結ぶ人生を送ることができるのです。

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神につながる人生は豊かな実を結ぶ人生です。今日も神との関係を新たにし、つ
ながりを確認してまいりましょう。

初期,御言葉

Posted by maruyama