今日のみ言葉(2011年6月27日)【No.99】
「イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一
つ一つの言で生きるものである』と書いてある。」
(マタイ4:4)
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イエス・キリストは公生涯に入る直前、40日間の断食をしました。その直後、悪魔がやっ
てきてこう言いました。
「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」
(マタイ4:3)
直接的には、これは空腹の人間を誘惑する言葉です。
と同時に、
「結局、神様とか信仰とかと言っても、食べるようにできなければ何にもなりはしないで
しょう。」
「神様の力を頂いているんだったら、さっさとその力を出して食糧問題を解決するのが先
なのではないですか?」
「礼拝だ、祈りだとかを大切にするのはいいですが、それは個人の好みの問題ではないで
しょうか?全人類のためを思えば、そんなことよりまず食物が与えらることですよ。それ
が本当の愛ではないですか?」
「信仰を第一にするとおっしゃるあなたは、貧困にあえぐ人を見ないようにしている偽善
者なのでは?」
という、現代でもどこかで聞く激しい挑戦と誘惑の言葉なのです。
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これに対して、イエス・キリストは、
「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものであ
る」
という神の言葉で悪魔を撃退しました。
つまり、人間は食べ物だけで生きているのではなく、実は神の言葉によって生きるのだ、
と言うことです。
平均寿命世界トップクラスの現代の日本がこの聖句を証明しています。
食べ物に窮するどころか飽食の時代が続く日本で、
「私ほど不幸な人間はいない」
と思って暮らしている人たちが山ほどいらっしゃいます。
食料のない時代には「食べるものさえあれば生きていける」としか見えませんが、食料が
保証されると、人間はそれだけでは生きてはいけないのだということが見えてきたのです。
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パンに代表される食物は命を支えるために「必要」なものです。しかし、それさえあれば
「十分」というわけではありません。
聖書を通して示される神の言葉によって、人は生きる指針を得ます。
そして、今まで生きることに執着していた人が、逆に「食べられなくなってもいい」と思
う程までに自分の命を注いでいける「使命」を見出していくのです。
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この典型的例がキリストの直弟子たちです。
彼らはイエス・キリストと出会ってからも、自分たちの中で誰が一番偉いか、を論議する
ほどこの世で生きることに執着していました。
ですから、イエス様が捕らえられた時、皆自分の命欲しさに先生を見捨てて逃げ出し、家
の中に隠れて引きこもってしまったのも無理はありません。
しかし、死に打ち勝ち、復活されたキリストと出会った後、彼らはこの福音のために命を
捨てて全世界に伝道します。
マタイによる福音書の最終節
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」
この言葉によって彼らは命与えられ、「使命」という言葉通りにその命を使っていったの
です。
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神の言葉があなたにいのちを与えます。その命を大切に使わせていただく一日として参り
ましょう
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