今日のみ言葉【No.2171】(2020年 1月 9日)「キリスト教イロハ(38)『カリスマ』」
しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。
(ローマ5:15)
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渋谷駅前にギャルファッションの聖地と称された「渋谷109(イチマルキュー)」ビルがあります。
1990年代後半、ここで働くショップ店員は最新流行のファッションに身を包み、ギャルたちはその人の着ている服が欲しいと殺到し、飛ぶように売れました。
一躍ファッションリーダーとなり、若い女性に絶大な影響を与える存在となったこのショップ店員たちはいつしか「カリスマ店員」と呼ばれ、1999年の流行語大賞でトップ10に入賞するほどになりました。
強い影響力を持つ人や人を惹きつける魅力のある人を意味する言葉として「カリスマ」という語が使われだしたのはこの時からです。
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カリスマとはギリシャ語のカリス(恵み)から来ており、聖書では「神の恵みの賜物」を表します。
この賜物は、その人の価値とは無関係に、ただ神の恵み(カリス)の現れとして与えられるものです。
旧約聖書では士師記に登場するサムソンがわかりやすい例として挙げられます。
彼の行動には決してほめられない点が多くありましたが、神の賜物としての力が与えられ、彼は民を救う働きをさせられました。
新約時代では、罪からの救いと永遠の生命が神の恵みの賜物と呼ばれました。
「しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか」
(ローマ5:15)
また、各人に与えられた神の賜物は、キリストの体なる教会に奉仕するために用いられるべきことがコリント人への第1の手紙第12章で語られています。
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神の賜物は自分自身では気づかず、人から指摘されて発見することが多くあります。
なぜなら、自分にとってあまりにも当たり前のことだからです。
たとえば、語る賜物のある人は話していることが普通なので、人前で話が出来ることが当たり前過ぎてその賜物の力に気づきません。
ですから、うまく話せない人から「あなたはすごいですねえ」と言われてはじめて神の恵みに気づかされるのです。
私は高校時代、英単語の暗記は苦もなくできましたが、物理が苦手でした。
そこで物理が得意なS君にどうやって勉強するのかと尋ねると、
「物理なんて2つか3つの法則を覚えれば、後はそれを応用するだけだ」
と軽く言われ、
「それより、お前はどうしてあんな大量の単語を覚えられるのだ。その方法を教えてくれ」
と逆に尋ねられました。
私は
「そんなの1回か2回見たら覚えられるだろう」
と軽く答えたのを覚えています。それが私の当たり前だったからです。
お互い「ふ~ん」と言って、うなる他ありませんでした。
これと同じことが私たち全般にも言うことができるのではないでしょうか。
神の恵みの賜物は当たり前過ぎて目につかないのです。
神様は人を通し、また様々な出来事を通して恵みの賜物を生かすようにとその存在を気づかせて下さるのです。
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誰にでもカリスマは与えられていることを信じ、神の恵みを活かす人生を歩んで参りましょう。
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