今日のみ言葉(2011年7月14日)【No.116】
「自分の心を頼む者は愚かである、知恵をもって歩む者は救を得る。」
(箴言28:26)
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自分の考えだけでなく、広く知恵を求めるにはどうしたらいいのでしょうか?
その前提として、自分以上に知恵を持った方がいる、という存在を認める必要があります。
つまり、自分の力の限界や愚かさを認めて、謙遜になることです。
これができるまで、人は我力で這い回るものです。
その苦しい時期も神様は後に用いて下さいますが、できれば早い時期に神の知恵を求め、
従順にそれに従うようにしたいものです。
その生き方の方が人生の収穫は豊かだからです。
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たとえば、もしあなたのお子さんが不登校になったとしたら、どうされるでしょうか?
ショックを受けたりオロオロしたりする時期を経て、この問題を解決しようとします。学
校に行けなくなった理由を探すのです。
この時、「犯人探し」、になりがちです。誰のせいでこうなったのか、と原因を誰か特定
の人のせいにするのです。
この方向で行くと、行き着く先は家族・学校を巻き込んだ泥沼です。
神の知恵を求めるとは、「犯人探し」ではなく、神がこの状況を許可されたことにどんな
意味があるのだろうか、と「意味探し」をすることです。
どのような状況も神が知らない所で起きることはなく、全てご存知の上でなされているの
だ、という神の視点からものを見ていくことです。
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不登校のお子さんを持ったお母さんが次のように語っておられます。
「不登校の子供に親が接する時、本当に必要なのは、子供がつまづく障害を取り除くこと
ではありません。」
「転んでも一人で起きあがれるように沢山のエネルギーを与えることです。」
「そのためには、親が徹底的に子供の味方になることが大切です。」
不登校になった時、そこに与えられている意味とは、親が子供の味方になることだという
のです。
そして、このお母さん以上の愛で神は私たちに関わっていることを知ることも、私たちに
与えられている知恵の一つです。
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今日も神に知恵を求め、救いを得ていきましょう。
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