今日のみ言葉(2011年8月12日)【No.145】
「だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中
で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。」
(使徒27:22)
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この聖書個所の前、パウロは舟の出航に反対しました。航海には危険な季節になっていた
からです。
しかし、寒い冬をこの港で過ごすには適さない、早く出港してここから出ようという意見
が大勢を占めました。
すると、都合の良い南風が吹いたので、ここぞとばかりに出航しましたが、間もなく暴風
に遭い、舟は難破してしまいました。
人間の欲や計算で動くと、自分の思いを達成するのに都合の良い情報だけが目につき、
「今を逃せば後がない」と思ってしまうのです。
片寄った情報に基づいて物事を決めてしまいやすい人間の弱さです。
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一方パウロは神に聞き従う人でした。
自分の都合ではなく神の都合で動く、と初めから決心しているのです。
自分の都合で動かしたい人は、
「嵐に遭わないように」
「舟も積荷も失わないように」
と願い、そこに思いと力を集中させます。
しかし、神の御心を受け入れる人は、
「嵐に遭うこともある」
「失うものもある」
ということを当然のこととして受け入れています。
そこに
「嵐の中での平安」
があるのです。
神のみ声はその平安の中で明確に聞こえてきます。
そして、平安に裏打ちされた
「元気を出しなさい。」
というパウロの言葉が人々の心をよみがえらせたのです。
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田中先生のお母様のきよの先生がガンの末期だと分かった時のことです。
「この世にお別れする前に一度オーストラリアという国に行ってみたい」というきよの先
生の希望を叶えるために、
「丸山君、ひとつ連れて行ってくれたまえ」
と田中師から頼まれました。
臆病な私は、出発前から現地での葬儀日程を考え始めました。
「あちらでもしもの事があったらどうしますか?」
と、暗に「行くのをやめませんか」という思いを込め、恐る恐る尋ねてみました。自分に
都合の悪いことは極力避けたいという私の肉の思いです。
すると田中先生の口から出てきた言葉は、
「うん、その時はその時だ!」
なぜか妙に安心し、納得したのを覚えています。
しかし、牧師室を出てから、
「あ、具体的なことは何も決まっていない…」
ということに気づき、再び焦り出しましたが、神のなさること全てを受け入れる心に平安
が宿ることを学ぶ旅行となりました。
きよの先生は旅を満喫し、3ヶ月後どころかその後9年間お元気に過ごされ、天に凱旋され
ました。
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神のなさるわざを受け入れ、御心の中にいる平安を味わって参りましょう。
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