今日のみ言葉【No.1186】(2015年11月30日)

見よ、わたしはあなたをレバノンの香柏のようにする。麗しき枝と森の陰があり、たけが高く、その頂は雲の中にある。
(エゼキエル31:3)

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中東の国レバノンの国旗の中央には、レバノン杉が描かれています。

現在は乱伐によりほとんど失われていますが、古代から「レバノンの香柏」と呼ばれる高級木材であり、この国のシンボルだったのです。

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エゼキエル書第31章ではエジプトがこのレバノン杉にたとえられ、周辺諸国がうらやむほどの大国に成長したことが述べられています。

しかし、エジプトはなぜ自分が大きくなれたかを誤解し、その高慢の故に切り倒されてしまうのです。

古代エジプトの成長はナイル川がもたらす肥沃な土が基礎となっていました。

「その根を多くの水に、おろしていたからである。」
(エゼキエル31:7)

つまり、大自然の賜であり、その自然を造った神の恵みを使わせていただいたゆえでした。

残念ながらエジプトはそのように思い至らず、自分たちの力で他国を凌ぐ国に成長できたと考えました。

この思い違いによって高慢となったエジプトという大木は、神の裁きを受け、切り倒され、陰府に下ることが記されています。

「神の恵みによって今があり、私はただの人間なのに、神が用いて下さっておられるので、今、神の働きができる」

絶えずこの意識に戻ることが私達が守るべき生命線です。

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傲慢になり、スットーン、と落とされたら、またこの生命線まで戻り、悔い改めて再スタートしたら良いのです。

人間ですから何度も落ちます。

いつの間にか高慢になり、神がなくても生きていられるように思い、ついつい

「ここまではいいだろう」

と手を抜きたがるのが人間の肉の性質です。

そのまま行けば、エジプト同様「陰府に下る」のですが、愛の神はそうさせまいとして、揺さぶりをかけ、時にストンと落とすのです。

ありがたいことに、キリストの十字架の恵みで、人は何度でも悔い改めできます。

「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」
(第1ヨハネ1:9)

この神の約束を手にし、

「私は罪ゆるされたただの人間で、神の恵みによって生かされているだけです」

というこのラインさえつかんでいれば大丈夫。

神との絆は切れません。

いえ、たとえ自分の方から切ったとしても、神の側から結び直そうとするチャンスが人生では幾度となく与えられるのです。

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私は毎日1回はパソコンでやるパズルゲームがあります。

うつ病真っ盛りの時は、本当にこれしかできなかったのです。

ですから毎日このゲームで遊ぶたびに、

「あの時はこれしかできなかった自分だったのだ。今は歩けるし、人とも話せるし、すごいなあ。」

そう思うと、仕事が多少行き詰まっていることなど問題でないことが身にしみてわかってきます。

「仕事をすることで悩めるなんて、そこまで回復できたんだ。感謝なことだ」

と思うのです。

そして、

「あの時に比べたら、人間関係で悩み、仕事で悩み…。何と贅沢な悩みを抱えてもらわせているんだろう。」

と思えるのです。

しかしいつの間にか、毎日のように不平不満、ストレス充満の私になっています。

ですから、あのパズルゲームをするのです。

そして、

「神の恵みによって今があり、私はただの人間なのに、神が用いて下さっておられるので、今、神の働きができる」

という意識に戻り、

「私は罪ゆるされたただの人間で、神の恵みによって生かされているだけです」

という最終ラインで高慢から解放されます。

この毎日の繰り返しがクリスチャン生活の基本なのではないでしょうか?

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高慢な木は、たとえ大木でも一瞬で切り倒されます。

何度でも悔い改め、神に立ち返り、今日も神の恵みをいただいて成長して参りましょう。

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