今日のみ言葉【No.1605】(2017年 9月19日)「 弱い者は支えられる」
あなたの手を伸ばして、その尾を取りなさい。――そこで手を伸ばしてそれを取ると、手のなかでつえとなった。――
(出エジプト記4:4)
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「( )肉( )食」という四字熟語を完成させよという問題があったら、あなたは括弧の中にどんな漢字を入れますか?
まさか「焼肉定食」とはなさらないでしょう!
普通は「弱肉強食」が答です。
確かに自然界を見ると、多数の弱いものが少数の強いものの餌食となり、丁度良いバランスで世界が維持されています。
進化論的考え方で行くと、弱いものは淘汰されて強いものだけが生き残る、となります。
しかし聖書に見る神の御手は、弱いものを支える手なのです。
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「わたしはあなたを祝福する」という約束をいただいていても、いざ手強い現実を前にすると人は立ち止まり、前に進むことを恐れます。
「本当にこの先、進んで行っていいのか?」
「信じてしまったがゆえに、今持っているものまで失い、大損するのではないか?」
初期のイスラエルがそう考えるのは無理もありません。
彼らはエジプトで奴隷とされていたからです。
そんなひどい環境の中であったとは言え、彼らを養っていたのはそのエジプトでした。
つまり、イスラエルは自分を虐げる存在に完全に依存しながら生きる状況にいたということです。
そこから一歩踏み出すことは、周囲の人々からすれば簡単なことでも、当の本人にとっては一大決心が必要な大冒険なのです。
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神は彼らが将来必ず祝福の基となるということを知らせるために、信仰が弱い段階では保証のために劇的な介入をなさいました。
モーセが神と初めて対面した時、
「あなたの手を伸ばして、その尾を取りなさい。――そこで手を伸ばしてそれを取ると、手のなかでつえとなった。――」
(出エジプト記4:4)
と、杖をへびにし、それをまた杖に変えるという奇跡を行われました。
また、彼の手をらい病とし、直後にそれを癒やすという奇跡をも起こされました。
それは全て
「これは、彼らの先祖たちの神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、あなたに現れたのを、彼らに信じさせるためである」
(出エジプト記4:5)
という目的でなされました。
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祝福の運命を担う人間に対して、神は
「わたしを信じられないような弱い心の者は切り捨てる」
という対応をされる方ではありません。
弱いからこそ支えてくださるのです。
「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである」
(ローマ8:26)
疑いと不安が渦巻く心の持ち主であればあるほど、神はその人の心に確信と信頼を起こそうとして介入なさいます。
初期のイスラエルの奇跡にはそのような意味と目的がありました。
そして信仰が成長した後となれば、今度は人間の側では神の劇的介入を特に必要としなくなります。
それはちょうど幼な子の成長のようなものです。
かつてはお母さんの顔が見えなくなると泣いていたのが、最近は、「ママ、あっちの部屋にいるよ」と一人遊びに熱中しています。
お母さんが手をかけようとすると、かえってうるさがられます。
そのように、私たちは弱さが受け入れられ、支えられ、そして神がそばにいることを感じられなくても平安でいられる信仰へと成長していくのです。
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神の御手を感じるために、あなたの手を伸ばしてみましょう。
そして、前に進む一歩を踏み出す今日として参りましょう。
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