今日のみ言葉【No.2101】(2019年 9月20日)「離婚問題(1)」

2019年9月20日

そのとき、パリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして質問した、「夫はその妻を出しても差しつかえないでしょうか」。
(マルコ10:2)

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「結婚は人生の墓場である」

この言葉に同感する人もおられるでしょう。結婚すれば独身時代のような自由が制限されますから…。

しかし、実はこれは誤訳なのだそうです。

フランスの詩人シャルル・ボードレールが当時治療法がなかった梅毒という性病が流行していた状況を憂いて

「誰彼かまわず性交する自由恋愛はやめなさい。生をまっとうするなら、まずは体を清めること。そして、墓のある教会で貴方が愛した唯一の人と結婚しなさい」

という言葉を残しました。

「墓」という言葉が印象強かったせいかわかりませんが、これがどう間違ったのか日本では「結婚は人生の墓場である」となったようです。

ところで、当のボードレールは自分が言ったことと正反対の生き方をして梅毒になり、それが元で死んでいます。

罪人なる人間とはそういうものなのです。

さて、聖書は結婚と離婚についてどう言っているでしょうか。

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最初に結論を言っておきますが、聖書は離婚を認めています。

「えっ!」と驚く人もいらっしゃると思いますが、その人はよく聖書を読んでいない人です。

ただし、結婚や離婚の問題は非常にデリケートかつ複雑な問題ですので、単純に

「離婚しても構わないよ」

とは言えません。

聖書時代の状況と照らし合わせて正確に理解する必要があるので、まずは丁寧に見ていきましょう。

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イエス様のところに来たパリサイ人とは、律法の細かい点まで厳しく守ろうとする人たちでした。

ただし彼らは神が与えたモーセの律法を守るというより、彼ら自身が作り上げた細かい「口伝律法」という規定集の方を重んじていました。それは現在も続いています。

彼らはイエス様を試そうとしてこう言いました。

「夫はその妻を出しても差しつかえないでしょうか」
(マルコ10:2)

当時、ユダヤ人の男性は離婚を当然の権利だと思っていました。

そこには、結婚は親が決めるもので自分が好きな人と結婚できるわけではないという事情があります。

当然

「自分と合わない人と結婚させられたらどうしよう」

「嫌いな人と一生暮らさなければならないのか」

という考えが出てきます。

ですから、「例外」というものを設けようとしたのです。

パリサイ人のこの問いがなぜイエス様を試すことに通ずるのか、そして、離婚はどんな場合に許可されるのか。

それは次回以降に考えてみましょう。

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人生は難しい問いの連続です。

祈りつつ、時を置き、神の答を求めていく生き方を心がけましょう。

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