今日のみ言葉【No.2059】(2019年 7月18日)「キリスト教イロハ(4)『あがない』」
わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。
(エペソ1:7)
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タクシーに乗った時、無線での会話を聞くことがあります。
電波法によって配車や運行管理以外の目的での通信は違反になるため、それ以外の情報を伝える時には「隠語」を使っているのだそうです。
たとえば、
「トウェンティ」:ヤクザ風の客(8+9+3=20だから)
「○○通り付近、感度不良です」:ネズミ捕り情報
「カバンの忘れ物、ありました」:「犯人らしきあやしい人物を乗せています」
おもしろいですね(笑)。
キリスト教では、よく耳にするが本当の意味をよく知らない言葉に「あがない(贖い)」があります。
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「あがない」とは代価を払って買い取ることです。
エデンの園のストーリーで表されているように、人間は罪を犯し、死すべき存在となりました。
「罪の支払う報酬は死である」
(ローマ6:23)
と書いてある通りです。
しかし、罪のないキリストが、人間の罪のため、人間に代わって、十字架の死という代価を払われました。
これがキリストの贖い(あがない)です。
「わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである」
(エペソ1:7)
この知らせを聞いた人間がやるべきことは、
「そうか、私はもう罪の奴隷でも、死によって縛られた存在ではないのだ。キリストという御方が十字架で罪という借金を代わりに払ってくださったのだから、私はゆるされて自由な身となったのだ」
と信じることです。
その後は、神に愛されている自由人として生きていきます。
これが「あがない」を受けたと信じるクリスチャンの生き方です。
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このような話を聞く時に、人によって様々な反応が出てきます。
ある人は、「それは素晴らしい!」と感動します。
ある方は、「へぇー」と言ったきり、そのまま。
「まさか」と疑う人もいますし、「信じたほうが得だなあ」と考える人もいます。
私が今まで対面してきた人々の中で、
「私はその話を聞いた時に、ムラムラと怒りが湧いてきました」
と言う人に出会ったことがあります。
その人曰く、
「なんで頼みもしないのに十字架にかかったんだ」
「お前のために死んだのだよ、だから信じなさい、というのは愛の押し売りじゃないか」
おそらく、過去の様々な人間関係の傷に触れ、十字架のキリストが自分を傷つけた人と二重写しになったのでしょう。
怒りの背後には悲しみが横たわっています。
普段は寝ている子が、何かの拍子に驚いて、急に泣き出した。
それが彼の怒りの表れというものだったようです。
伝道した牧師はその人の心の奥深くにある悲しみを見抜き、怒りと反抗しかできない彼に対し、神の愛で接しました。
神の愛とは十字架の贖いですから、犠牲を払うということです。
やがて彼はキリストの十字架の救いを受け入れ、クリスチャンとなっただけでなく、献身して牧師となりました。
そして今度は、自分の方から人々のために犠牲となる働きを率先してやる身となり、
「イエス・キリストはあなたの罪を贖って下さいました。神はあなたを愛しておられます」
と福音を語っています。
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あがないを受けた者、神に愛されている者として、今日の歩みを進めて参りましょう。
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