今日のみ言葉【No.1380】(2016年10月 1日) 033 「変貌山でのペテロ、ヤコブ、ヨハネ」(2)
「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」
(ルカ9:33)
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教会にはいろいろな人が来られます。
ある時、
「先生、これからパチンコに行きます。じゃんじゃん出るように祈って下さい。プラスになったらその半分は献金します」
私は内心「う〜ん」とうなりました。
またある時は、
「先生、ここに3億円あります。これで教会を建てて下さい」
と包みを持ってきた人がいました。
中を開けたら、あったのは宝くじです。
何のことはない、「宝くじが当たるように祈ってくれ」というお願いだったのです。
しかし当の本人はいたって真面目で、「本当に捧げます。300円でも献金します」とおっしゃいます。
私はまた内心「う〜ん」とうなりました。
神様を利用して自分が得をしたいという魂胆がありありと見え過ぎて、かえって可愛らしさまで感じてしまいます。
神のためと言いながら、どこか外れていたのが今日の聖書個所のペテロでした。
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栄光に満ちあふれた状態から、イエス様が立ち去ろうとされたとき、ペテロはこう言いました。
「わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」
(ルカ9:33)
小屋(幕屋)を建ててずっとここにいましょう、という申し出は、ペテロの間違った救い主についての考えをあらわしています。
しかしペテロは、このような救い主についての考えが、これからイエス様が成し遂げられようとする十字架上の救いの御業を妨げるようになるなどとは思ってもいません。
自分のそばに神を引き寄せようとするのは、それが心地良いからです。
人は自分に合わせて周りの環境を快適にしようとしますから、それも当然です。
彼は「小屋(幕屋)」を建てると言っていますが、日本人向けには、「神社」を建てる、と言い換えるとイメージがわきやすいと思います。
「あなたがた一人ひとりのために立派な神社をこしらえますから、どうぞここにいて下さい」
と、さも3人のためになることをさせていただきますという態度で行なっているように言っています。
しかしそれは心地よさと引き換えに差し出した偽りの謙遜と敬意であり、ペテロの考えの幼さを表すだけなのです。
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モーセとエリヤとイエス様は、
「イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していた」
(ルカ9:31)
というわけですから、それは自己犠牲の道です。
そのためには、この場から出ていかなければならないのです。
イエス様はこの後、エルサレム目がけて進んでいかれます。
十字架につき、全人類の罪の身代わりとなるためです。
その全人類の中に、ペテロが含まれ、また、私たち自身も含まれていることを覚えておきましょう。
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私たちがいかに自己中心な考えを持っていたとしても、キリストの愛は変わらずに差し出されています。
神に愛されている自分であることを確認し、今日も信仰の一歩を歩み出して参りましょう。
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