今日のみ言葉【No.2041】(2019年 6月26日)「とげの意味」

2019年6月26日

そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。
(第2コリント12:7)

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宇野隆史さんは子供の頃、おでん種のチクワが食べられませんでした。

あの穴がなんだか嫌だったのです。

それを聞いたお母さんは息子にこう言いました。

「ばかだねぇ。穴を残せばいいじゃないか」(笑)

物事の考え方は色々あることを学んだ彼は、後に様々なアイディアを駆使する飲食店の経営者として有名になりました。

そして、彼を慕ってやって来る若者を次々と独立させ、何百人もの弟子がいる身となっています。

一見マイナスと見え、排除してしまいたいものも、神の光に照らされて見る時、全く違った恵みと見えてきます。

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このことを体験したのが使徒パウロでした。

彼は非常に優秀な人物で、ダマスコ途上の回心後、与えられた賜物を全て神のために使おうと、捧げる人生に方向転換した人でした。

そのように生きれば、神様だって味方になってくれるはずです。

「イエス・キリストの福音を伝えるために全てを捧げているのだから、それを命じた神様は私の人生から伝道の障害になるものは皆取り外してくださり、平坦な道をまっしぐらに進めるはずだ!」

パウロはそのように考えていたかもしれません。

しかし現実はそれとは違い、不可解なことの連続です。

特に、祈ってもそれがかなわず、何度祈っても同じで、

「神様、あなたのために伝道していますから…」

と、御心に沿った祈りだと自信を持って祈った時でもそうなりません。

人生ではこのような壁にぶつかる時があるのです。

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パウロの場合、それを

「わたしの肉体に一つのとげが与えられた」
(第2コリント12:7)

と表現しています。

聖書学者たちは、眼病等の肉体上の何らかの病気であったと推察しています。

もしそうだとしたら、

「神様、この病を癒して下さい。この病気のおかげであなたの福音を伝えるわざに支障が出ています。どうかこれを取り除き、私を自由にして下さい。そうすれば、もっともっと救われる人が出ますから」

という祈りが出ても当然ですし、神様がいるならきっと叶えられるような祈りに思えます。

しかし、どんなに求め、神の門をたたき、祈っても、事態は変わりません。

パウロは悩んだ末に、とうとうこの結論に到達しました。

「それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである」
(第2コリント12:7)

高慢にならないように…。高慢にならないように…。

パウロの心の中でこの言葉が、打ち返す波のように繰り返されたに違いありません。

彼は自分を打つサタンの使いを受け入れたというよりは、サタンの活動を許可し自分に苦痛を与える神の御心を受け入れたのです。

「この肉体のとげには意味がある。神の意図がある。それは私が突っ走って高慢になることを防ぐための痛みを伴う愛だったのだ」

このような考えが彼の頭の中を駆け巡り、納得し、そして彼は生涯その苦痛を感謝し、「とげ」と共に生きたのです。

この神の恵みが見えた時、あなたの人生は大転換を果たします。

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T兄は突然の脳出血で倒れ、命はとりとめましたが身体に障害が残りました。

早い内にリハビリをすれば機能はかなりの部分で回復します。

職場復帰したいという強い意欲を持って、彼は病院内で過酷なリハビリに励む毎日を送りました。

その甲斐あって、手足の可動域が広がり、いよいよ退院の見通しも出てきたある日、今まで感じたことのない痛みと痺れ、疼くような不快感を感じるようになりました。

主治医は最も効果のある痛み止めを処方してくださるのですが、効果はありません。

退院後、在宅療養に移り、リハビリ通院を続けましたが、痛みとの付き合いは深まるばかりでした。

そんなある日、リハビリバイクに取り組んでいる時のことです。

周りに誰もおらず、祈りつつ励んでいると、T兄の心に神の声が響いてきました。

「あなたは確かに回復してきている。でも、体が元通りになったら、以前のように無理をするようになるだろう。わたしが癒したあなたにそのようにさせないために、わたしは、あなたに『痛みと麻痺』を与えた。これをいつも感じることで、あなたにはできないことが多くなる。きちんと日々の生活リズムを守り、今日すべき事をこなし、休めるようにしなさい。

「日々の仕事と生活に困らない力は、わたしがあなたに与えている。あなたにその必要がなくなったとき、その痛みや痺れはわたしが取り除く。だから安心していなさい。」

かすかでしたが、しっかりわかる声でした。

「そうか、これは神様のプレゼントだったのか!!」

彼はただただ驚き、しばらく放心状態だったと言います。

T兄は今も、この神様からのプレゼントを左半身にまとい、生かされています。

そして、この痛みを与えられたことによって、目に見えない障害を持ち、苦しんでおられる方の気持がわかるようになりました。

実は彼の奥様は長年の病気の痛みを持ちながら日常生活をこなしておられたのです。

お二人に聞くと、

「今は二人、痛みを分かち合って一人前の生活をさせていただいています」

とおっしゃいます。

痛みがわかることによってご夫婦の絆がより深くなったというのは、何と素晴らしい神のわざでしょうか!

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人生に与えられた「とげ」は、神の光で照らされた時、「恵み」と見えるようになります。

今日もその神の恵みを見る一日として参りましょう。

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