今日のみ言葉【No.830】(2014年 5月21日)

それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います
(ヨブ記42:6)

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今日はヨブ記の最終章です。

あれほどの苦難を味わい、

「正しく生きてきたはずの私がなぜこのような不当な目に遭うのか」

と叫んだ彼は神の出現によってどうなったのでしょうか?

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まず、ヨブの問題は神によって解決されたわけではないことに目を止めましょう。

「あなたをこんな目にあわせて申し訳なかった」

と謝罪をしてくれる人はいませんでした。

また、損害を弁償しますと申し出た人もいません。

それをしてしまうと、ヨブが正しいことになり、彼の罪が表に現れないからです。

ヨブの罪とは、

「神が間違っている」

としたことです。

それを知らせるために、神は大自然の驚異を示し、ヨブが知っていると自認していることはほんの限られたことであり、ヨブが知らずにいることのほうが圧倒的に多いことを神は彼に教えます。

事実、ヨブがなぜこのような苦難に遭うのかが決まった天上での神とサタンとのやり取りを、彼は知らないままで過ごしています。

ヨブの罪が明らかになり、彼は神の前に悔い改めるのです。

「それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います」
(ヨブ記42:6)

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悔い改めがなされ、神との関係が正常になった後で、神はヨブを責めた友人たちとの人間関係を元の通りに回復させ、財産も2倍に増やします。

「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄をもとにかえし、そして主はヨブのすべての財産を二倍に増された。」
(ヨブ記42:10)

物質的な祝福も人間関係の祝福も、神との関係が正常化されたあとで初めて意味を持ってきます。

そのためには悔い改めなのです。

それは、

「自分に神など必要ない。ゆるしも罪も何も関係ない。」

と生きてきたところから、自分こそそれが必要だと、キリストの十字架に目を向けることです。

神は私たちを方向転換させようと、様々な手段を用いられます。

時には心地よい生活を、時には大自然の強大な力を通して、時には苦難を与えることによって、人生の真実に目を向けさせるのです。

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神は今日も語っておられます。

ゆるしにあふれた神の恵みの豊かさの中で、神の方向へと進路を定めてまいりましょう。

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