今日のみ言葉【No.1984】(2019年 4月 9日)「パリサイ人のパン種(1)」

2019年4月9日

パリサイ人たちが出てきて、イエスを試みようとして議論をしかけ、天からのしるしを求めた。
(マルコ8:11)

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誰でも一度は

「神様、もしあなたがいらっしゃるなら、今、私の目の前で、まばゆいばかりの光であなたを現して下さい。それを見たらあなたを信じます」

というような祈りをしたことがあるのではないでしょうか?

そのような「見たら信じるから起こしてくれ」という奇跡は起きるものではありません。

それをあえてイエス様に言ったのがパリサイ人たちでした。

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パリサイ人たちは「天からのしるし」を求めました。

「ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める」
(第1コリント1:22)

とあるように、ユダヤ人は「しるし」を求めます。

つまり

「イエスよ、あなたが神からの救い主なら奇跡を起こせるはずだから、それを見せてくれ」

と要求したのです。

ただし彼らの態度は、

「その奇跡を見せていただいたら、信じることをお約束いたします。その時はこのような無礼な願いをしたことをおゆるし下さい」

という謙遜なものではありません。

「イエスを試みようとして議論をしかけ」
(マルコ8:11)

とありますから、表面は丁寧に装っても、内心は上から目線の見下す態度でイエス様に向かっていたのです。

そして、たとえ奇跡が起こされたとしても、それが彼らを満足させるような奇跡でなければ、すぐにでも否定する構えでいたことは間違いありません。

何か目に見える形に信仰の確かさを置こうとする時、それはパリサイ人のパン種になります。

そしてそのパン種には常に偽善の匂いがつきまといます。

パリサイ人のパン種とは、心の内面より表面の形、儀式さえちゃんとしていればそれでよしとする形式主義に信仰が陥ってしまうことなのです。

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神が求める信仰の態度は、

「もし信じるなら神の栄光を見るであろう」
(ヨハネ11:40)

です。

私の家内の例話を一つ。

教会のコーヒーメーカーが壊れてしまいました。

まだ保証期間内のはず。しかしその保証書が見つかりません。

しっかり者の彼女は、保証書・マニュアル類は1カ所にきちんと整理してあるのに、そこを探しても見当たりません。

月日がたち、保証期間がそろそろ間近となり、とうとう家内はお店に電話しました。

妻「保証書がなくても持って行ったら大丈夫でしょうか?」

店「お買い上げの年月日が分からなければ当店では…」

予想通りの対応です。

いよいよ追い詰められた彼女の祈りは変わりました。

それまでの

「神様、どうか見つかりますように。私の目の前にパッと出して下さい」

から、

「神様、あなたが見つけてくださることを信じます。もし出てこなければそれが御心と信じます。あなたは最善をなされる方です」

へと祈りも態度も変わり、もう一度あの定位置の場所を探してみることにしました。

そうしたら、あったのです。

「あったー!出てきたー!」

と転げまわる妻を見ながら、私は

「焦っていたから見落としていただけなんじゃないの。落ち着いて探せば見つけていたものを…」

と内心冷ややかに見ていました。

そして、次に彼女は何と言うか注目していると、

「神様は祈りを聞いて下さった。祈りが答えられた!」

と叫んでいました。

彼女は見て信じたのではなく、信じて見たのです。

このような実生活の些細な出来事ですが、このような体験が積み重なって、私たちの信仰は強められ、成長していくのです。

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神を信じて歩む今日の一日として参りましょう。

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