今日のみ言葉【No.2660】(2021年10月22日)「神の国の価値観(5)」

「孤独のグルメ」(テレビ東京)

あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。
(ルカ6:21)

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「孤独のグルメ」という人気テレビシリーズがあります。

主人公の井之頭五郎がただもぐもぐと独り語りに食べるだけなのですが、視聴者の支持を得てシーズン9まで到達しました。

「時間や社会にとらわれず、幸福に空腹を満たす時、つかの間、彼は自分勝手になり、自由になる。誰にも邪魔されず、気を使わずにものを食べるという孤高の行為。この行為こそが現代人に平等に与えられた最高の癒やしと言えるのである」

というナレーションにはなかなかの説得力があります。

飢えずに満腹する方向にこの世は価値を見出しますが、神の国ではその反対方向に幸福があるとはどのようなことなのでしょうか。

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神の国の価値観の第2番目は、喜びや満足に関する評価です。

「飢え」という強烈な言葉を、「空腹」というもう少し穏やかな言葉に置き換えて読んでみると現実感が出ると思います。

空腹を感じて食べ、味覚と満腹感を通して人が喜びを感じるのは自然です。

当たり前の話ですが、人は周期的に空腹となり、満腹しても必ず空腹になります。

5千人の給食の奇跡の翌日、群衆がまたパンを求めてやって来た時、イエス様はこう言われました。

「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである」
(ヨハネ6:26)

イエス様は、それは朽ちるものであって、どこまで求めても満足には至らないものであると示されたのです。

そして、

「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい」
(ヨハネ6:27)

と、人間を真に満足させるものがあることを教えられました。

飢えている人たちがなぜさいわいなのか。

それは、飢えているからこそ永遠のものを求めることができ、真の命の満足を知るようになるからです。

そこから先、グルメの旅はしてもしなくても良いものとなり、解放された自由を味わうようになります。

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また、悲しみに関しても同様のことが言えます。

ここでの「泣いている」とは、罪を悲しみ、嘆くのを表すのに用いられる語です。

「彼に言われた、『町の中、エルサレムの中をめぐり、その中で行われているすべての憎むべきことに対して嘆き悲しむ人々の額にしるしをつけよ』」
(エゼキエル9:4)

その悲しみは、イエス・キリストの十字架によって解決されます。

そして、その人には罪を嘆く悲しみの代わりに、罪が赦された喜びが与えられ、笑いがこぼれ出るようになるのです。

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神の国の幸せを見出す今日として参りましょう。

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