今日のみ言葉【No.1172】(2015年11月 5日)
そして野のすべての木は、主なるわたしが高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木を緑にすることを知るようになる。
(エゼキエル17:24)
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中年クライシスという言葉があります。
思春期の自我の目覚めの時期には、「疾風怒濤」と表現されるほどの心の揺れ動きがあり、親から与えられた枠から飛び出ようとする勢いと不安定さが共存しつつ、成長していきます。
それと同じように不安定な時期が40代〜50代に起こるのです。
それは、同年代の人たちとの比較、自分の寿命の限界が見えてきたことなどをきっかけとして、
「今の生き方で良いのか?」
と、これまでの自分の人生に疑問を持つことから始まります。
「会社人間」として生きることで自分を守ってきたが、それでこれから良いのか?
「いい嫁」「いい人」で生きてきたが、それは演じてきただけで、本当の自分を出さないまま死んでもいいのだろうか?
すると、周囲の人達から
「まじめな人だったけど、最近サボりだしたね」
と言われるような行動をしだします。
今まで作ってきた枠から外れる試みです。
周囲の人達から見ると、緑の木が枯れ始めたように見えますが、本当の緑の木になるのは、今までの葉や枝を落とした後なのかもしれません。
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エゼキエル書第17章には、大わしと木のなぞかけが記され、神御自身による解き明かしもされています。
2羽の大わしはバビロニアとエジプトの大国であり、ぶどうの木はイスラエルです。
2大国の間で上手に取りまわろうとするイスラエルでしたが、結局は枯れて滅んでしまうという出来事を、神はあらかじめ語っておられるのです。
しかし、枯れることは神の御心の内でした。
「そして野のすべての木は、主なるわたしが高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木を緑にすることを知るようになる。」
(エゼキエル17:24)
神が「緑の木を枯らし、枯れ木を緑にする」のです。
注意すべきことは、この個所は将来の救い主に関連する文脈で語られているということです。
つまり、中年に訪れる人生の危機の時、むしろ破れかぶれで破滅に向かうのが御心だ…、ということではありません。
神と共にあって生きる時、神は私たちを低くされ、そして高くし、今までの実績も何もかも意味を失わせもし、またそこから人生の真の意味を悟らせて下さる、ということなのです。
確かなことは、神と共に生きる時、枯れ木となる時期を通して、私たちは本当の緑の木にさせていただけるということです。
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厳寒の2月、造園会社の庭師さんが教会の霊園の木の剪定に来られました。
葉っぱの無い枯れ木同然の木の枝があちらもこちらも、あの大きな枝も容赦なく切られていきます。
素人の私は、
「抵抗力の弱った冬にわざわざしなくてもいいのに…。時期を間違ったのでは?」
と思って見ていると、私の心を見透かしたかのように、
「冬が剪定に最適の時期なんです。」
と庭師さんが話しだしました。
そして彼は語気を強めて、
「切るのは今しかないんです。」
と言ってまた仕事に取りかかられました。
木が人間なら、葉が落ち、丸裸になった上に、追い打ちをかけられるように枝が切られている、としか感じられないかもしれません。
しかし、1年で一番寒い時期に無駄な部分が切り落とされることで、その年の豊かな実が約束され、生き生きとした緑の木として人々の前に姿を現すことができるのです。
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神が枯れ木にされるのなら、それは恐れる必要はありません。
真の緑の木にさせていただける希望を持って今日の一日を歩んで参りましょう。
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