今日のみ言葉【No.1983】(2019年 4月 8日)「聖書とイスラエルの歴史(7)」

2019年4月8日

しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。
(ガラテヤ4:4)

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太宰治の名作『走れメロス』は今でも多くの人の共感を呼ぶ小説です。

親友セリヌンティウスの命のために、彼は必死で戻ろうとしますが、人間の情や、ディオニス王からの妨害、厳しい自然条件に遭い、挫折しそうになります。

しかしメロスは気を取り直し、約束を守るために走りに走ります。

その繰り返しの描写の中で、いつしか読者はメロスに感情移入し、自分もその中で一緒に走っているような感覚を覚えるのではないでしょうか。

彼は日が沈みきる前に王の前に戻り、人を信頼することの素晴らしさを目の前にした王は彼の命を助け、ハッピーエンドで終わります。

『走れメロス』は創作されたストーリーですが、神がもたらすストーリーは小説のようなフィクションではなく、真実であり、その約束は必ず果たされるのです。

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神が預言者たちに語った約束は、ユダヤのベツレヘムにおけるイエス・キリストの誕生によって成就しました。

「時の満ちるに及んで」とは、人間の思いとは異なる神の御計画があり、神の時にそれが成るということです。

「神は御子を女から生れさせ」とは、イエス様は人間としてお生まれになったということであり、「律法の下に生れさせて、おつかわしになった」とは、私たちと同じ条件下でこの世を生きられたということです。

完全なる人間であり、身分の低い大工の子として生まれ、都エルサレムではなく旧約聖書中にも出てこない貧しい村ナザレ出身であることが、当時の人々の目を曇らせました。

イエス様はメシアにしかできない奇跡を行い、旧約聖書の預言を忠実に読めば、この方こそ救い主であることがわかるはずでしたが、彼らが持っていたイメージとは違っていたのです。

救い主メシアとは強い王であり、ローマ帝国の支配からイスラエルを解放し、ダビデ王のような時代を復興してくれる人。

人々が期待するメシア像とはこういうものでした。

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イエス様を救い主と信じる人々は続々と現れましたが、律法学者・パリサイ人らは本当にこの人はメシアかと観察し、質問を試み、審査しました。

彼らの結論は、メシアではない、というものでした。

それどころか、

「また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、『彼はベルゼブルにとりつかれている』と言い、『悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ』とも言った」
(マルコ3:22)

とも言いました。

これはただの悪口ではなく、

「ナザレのイエスという人物はメシアではなく、彼の奇跡の業は悪霊の力によって成されているのだ。サタン側の者だ」

というひどい結論であり、ユダヤ人は公式にイエス様をメシアとして拒否しました。

イエス様を、神を冒涜した人間として十字架にかけて殺そうとした背後には、このような彼らの考えがあったのです。

しかし、神の御計画はさらにその上を行っています。

キリストが十字架で死ぬことこそ、神の御計画であり、人類の救いのために必要なことだったのです。

新約聖書は、このイエスがキリストであることを証言しているのです。

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素直に聖書を読み、神の言葉を受け入れる今日として参りましょう。

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