今日のみ言葉(2011年11月10日)【No.191】
「また、あなたは主の手にある麗しい冠となり、あなたの神の手にある王の冠となる。」
(イザヤ62:3)
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今日の聖句は、救い主が来られた後、エルサレムが以前以上の状態に回復し、神の栄光を現すことを預言した個所です。
救い主イエス・キリストを受け入れて、クリスチャンになった人は神の子です。
それゆえ、既に「主の手にある麗しい冠」です。
現状はそう見えなくとも、神は私たちを麗しい冠と見て下さり、更に素晴らしいものへと成長させて下さるのです。
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神の御手のわざを妨げないために、私たちは今一度、
「私は幸せになっていい」
「私は成功しても差し支えない」
ということを確認しましょう。
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「○○さん、あなたは幸せになっていいんですよ。」
とお話しする時、
「えっ!本当ですか?」
と言う人がいらっしゃいます。
心の中に、
「私は幸せになる資格はない。なぜなら、時々、自分でも止められない衝動で突き動かされ、あちこちで人の善意を壊してきたから…」
という理由があるようです。
ですから、自らが自らを罰してその罪の埋め合わせをしようとし、幸せになることを拒んでしまうのです。
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人間が暴走するのは、自分を愛せなくなった時です。
自分が素晴らしいと思えなくなった時、人間は捨て鉢な行動を取ったり、思いもよらないことをしでかしてしまいます。
しかし、神は御子イエス・キリストをこの世に、この私たちのために遣わし、罪の身代わりとして十字架にかけられました。
このイエスの十字架を自分の罪の身代わりだったと信じる時、私たちの罪は赦され、永遠の命が与えられます。
そして、この私をどこまでも追いかけて愛して下さる神の愛に満たされるのです。
その時点で暴走は終わります。
暴走する理由が無くなるからです。
自分は主の手にある麗しい冠だ、と自覚できるのはこの時からです。
神の愛に触れ、その愛を受け入れるところがスタートラインです。
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麗しい冠であることを受け入れ、、神の言葉を信じて歩んで参りましょう。
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