今日のみ言葉【No.1932】(2019年 2月 1日)「人を汚すもの(1)」

2019年2月1日

そして弟子たちのうちに、不浄な手、すなわち洗わない手で、パンを食べている者があるのを見た。
(マルコ7:2)

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インフルエンザの予防のために医療関係者はどうしているかとお尋ねしてみました。

ある方は鼻うがいを勧め、耳鼻咽喉科のお医者さんはヨード系でないうがい薬でガラガラとうがいをしなさいと話されました。

また、口からウィルスが入るのを避けるために手洗いのほうが重要だと説く人もおられました。

衛生上、手を洗うことは重要ですが、聖書に出てくる手洗いは、きよめを表す儀式的なものです。

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今日の聖句に「見た」とありますが、パリサイ人と律法学者たちが、なんとかしてイエス様を訴える口実を見つけようとして、ふさわしい証拠を見つけたのです。

それは

「弟子たちのうちに、不浄な手、すなわち洗わない手で、パンを食べている者がある」
(マルコ7:2)

ということでした。

手を洗わないことがそんなに重大な過ちなのでしょうか?

その当時、ユダヤ人たちはモーセの律法を守るために膨大な細則を付け加え、これを守らない者は神に逆らう者だとしていました。

これを口伝律法(くでんりっぽう)と言います。

本来の神の律法より、こちらの方が重要とされてしまっていたのです。

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現代の日本人からすれば、「なんでそこまで?」と思うかもしれませんが、実はイスラエルの痛切な悲しみと反省の歴史がそうさせたのです。

古代イスラエルはバビロン捕囚で国を失い、ひどい目に遭いながら、国を復興しました。

その際、

「なぜ我々はこんな苦労をせねばならなかったのか?」

という問いが発せられ、その答として

「我々の先祖が律法を守らなかったからだ」

と確定しました。

それ以来、ユダヤ人はモーセの律法を厳格に守るように努めました。

ところがそれがエスカレートし、律法を守ろうとする意識だけでは不十分だから、律法違反を防ぐための方策をあれこれと前もって考え出し、転ばぬ先の杖をいくつもいくつも設けたのです。

これが先の口伝律法なるものとなり、パリサイ人らの規準となりました。

たとえばこんな例はどうでしょう。

「インフルエンザにかからないために、うがい、手洗いを最低1日3回。外出する度に必ずマスクを着用し、1回ずつ使い捨て、家に帰り次第、玄関で空気清浄機の風を3分間浴び、シャワーを浴びて入念に洗髪し、紫外線消毒をした衣服に着替える…」

これを一つでも守らないと「律法違反」と決めつけられます。

人間の命を守るという本来の使命が忘れ去られ、聖なる律法ではなく、人間が作り上げた律法が人間の命を縛り上げるという現実になっていたのです。

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他人事ではありません。これは私たちのことなのです。

律法学者、パリサイ人らが

「自分たちは正しい。お前たちは間違っている。だから正してやる」

と思っていたのと同じように、私たちが他者を見てそう思っているなら、私たち自身がパリサイ人の立場で「見ている」可能性大です。

本当に神が言っていらっしゃることは何かと、心の耳を澄ます一日として参りましょう。

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