今日のみ言葉(2012年 1月25日)【No.227】
「この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」
(マタイ18:4)
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幼な子のような人が天国で一番偉いのです。
純真な心だからでしょうか?
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私もかつてその「幼な子」の時期を通りましたが、必ずしも100%純真ではなかったように思います。
その証拠に、よく兄弟げんかをして弟を泣かせた時、「人のこともよく考えなさい!」と親から叱られたからです。
それだけ自分中心で人の痛みなど考えなかったのです。
人のことをまず考え、謙遜さ100%の子供であったら、きっと「人のことよりまず自分を大事にしなさい」と口酸っぱく言われていたことでしょう。
ですから、天国で一番偉い人の条件は純真さではありません。
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イエス様が言っていることは、
「この幼な子のように自分を低くする者」
なのです。
わかったふりをして世の中を渡るのでもなく、自分はもう既に出来ている者だと思わず、
「わからない者ですので教えて下さい」
という心で生きる人が天国で一番偉い、つまり、天の祝福を味わえるのです。
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それは、人と比較して
「あの人よりダメだから…」
ということではありません。
神の前に自分を低くする、ということです。
それにはまず、いかに自分は神の前に小さい者であり、赦されなければ生きていけない者であるかを知ることです。
そしてその私がイエス様の十字架で全く赦されたという恵みを意識しながら生きることです。
赦されているからこそ、安心して自分の小ささを認めることができます。
無理矢理自分を低めようとすると、後から反動が来ます。
そのままでよいと赦されているからこそ、安心して自分を低くできるのです。
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教会にとても謙遜なおじいちゃんがおられました。
私のような若い人たちの為にあれこれと世話を焼いて下さり、決して上から目線で教えようなどとする方ではありませんでした。
その方の救われたいきさつを伺った時があります。
「私はねえ、関西で○○組の若頭をしていたんですよ。」
と聞いた時にはびっくりしました。全国規模の悪名高き組織名だったからです。
「肩で風切って歩いて、いつ人を切るか人に切られて死ぬかと暮らしていた19歳の時、私はイエス様に出会ってすべての罪を赦されたんです。」
「私はそのイエス様抜きでは今まで生きて来られなかったんです。今私がしていることは、イエス様への恩返しなんですよ。」
と語るそのおじいちゃんには昔のヤクザの面影など全く見えず、気高い風貌がとても印象的でした。
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天の祝福は、己を低くする者の上に注がれます。赦しの恵みを今一度確認して参りましょう。
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