今日のみ言葉【No.1857】(2018年10月16日)「 悪霊の追放(1)」

こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
(マルコ5:1-2)

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時が読める人というのはいらっしゃるものです。

「ここが潮目だ」

とバブル経済の絶頂期で株を全部売却し、

「こんなのはアブク銭だから仕事のために使っちゃいかん」

と仲間を誘って海外で豪遊し、良い思い出を作った後、地道に仕事に励まれた人を知っています。

きちんとデータを読める知性と、経験によって磨かれた感性のなせる業でしょうが、人間にはそれに加えて霊性というものがあります。

人の霊性は、悪霊の働きにも神の霊の働きにも左右され、自分でもなぜかはわからない行動に出ることがあります。

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マルコによる福音書第5章2節に登場する「けがれた霊につかれた人」はその代表的存在です。

彼はまさに悪霊につかれた人でしたが、

「墓場から出てきて、イエスに出会った」
(マルコ5:2)

とあります。

ちなみにパレスチナ地方の墓場は、日本のように墓石が建っているのとは違い、横穴方式ですから人が住むことができました。

彼はわざわざ出てきたのです。

悪霊は人間以上にイエス様の力を知り、恐れていますから、隠れて出てこなければ良いものを、この人は

「イエスが舟からあがられるとすぐに」
(マルコ5:2)

と、それは即座の出会いであったことが記されています。

岸から遠く離れた墓場で神の霊をキャッチしたのか、あるいは、嵐を静められたイエス様一行の舟を見ていたのか、何かはわかりませんが、とにかく彼の内なる何ものかが彼自身を動かしたのです。

神の霊のあるところ、神の御心の業が起こります。

それは自然界での奇跡という現れもありますが、多くは人との出会いに現れます。

ですから、私たちは人との出会いに心を配らなければなりません。

今日出会う人が、神の霊に促されてあなたと会いに来た人かもしれないからです。

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田中先生を米沢駅に迎えに行った時のことです。

車に乗るとすぐ

「今から遠藤キンさんのところへ行く」

と先生が言われるので、私は

「教会にお戻りになられるのではなかったですか?」

と確かめると、

「いや、先にキンさんのところへ行ったほうがいいような気がする」

とおっしゃいます。

遠藤キン姉はご高齢で、いよいよ天国に行く日が近いと聞いていましたから、こういう時は「問わず従え」です。

車を走らせ、お宅に着き、部屋に入れてもらうと、おばあちゃんが寝ているお布団をぐるりと囲むようにして、ご家族と近親の方々数名が集まっておられました。

キン姉はすぐに田中先生を認めて、「信生先生、よく来て下さいました」と言う声は私も聞こえました。

二言三言、お二人の間で会話があったようです。

そして間もなく、本当に間もなく、天に向かって何かを語るかのように舌が動き、そのまま息を引き取られました。

すぐにご近所のお医者さんが呼ばれ、脈を取り、瞳孔を確認してから、

「ご臨終です」

と厳かに言われました。

この間、30分。

神様に呼ばれたとしか言うことの出来ない体験でした。

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神の霊の働きは、私たちの内なる聖霊のささやきによって知らされます。

神の静かな声を拒むことなく、神の御心に従う一日として歩んで参りましょう。

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