今日のみ言葉【No.1351】(2016年 8月18日) 023 「長血をわずらっている女」(2)
しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。
(マルコ5:32)
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あるお医者さんが、ハッと気づいたそうです。
「私は患者さんを名前で覚えていない。病名で覚えている!」
診察室に入ってきた人の顔を見て、まず浮かんでくるのはその人の名前ではなく、
「ああ、胃潰瘍の人」
「高血圧の患者さん」
という具合に、「病気」を見て「病人」を見ていなかったと述懐しておられました。
「病気」という症状ではなく、「病人」という人格を見るのがイエス・キリストです。
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長血をわずらっている女は、信仰のとおりに見事に癒されました。
「すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。」
(マルコ5:29)
しかしそれは彼女しか知らない出来事でした。
イエス様は、誰かが神の力によって癒されたことがわかりました。自分の内から力が出ていったのを感じたからです。
「イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、『わたしの着物にさわったのはだれか』と言われた。」
(マルコ5:30)
そして、熱心に、それをした人を知ろうとなさいました。
「しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。」
(マルコ5:32)
この「見まわしておられた」という言葉は、しらみつぶしに一人一人を見るような様子を表す強い言葉です。
なぜそうまでして、癒された人を見つけようとされたのでしょうか?
イエス様は病気ではなく病人をご覧になられます。
それは、人との人格的出会いを求められるからです。
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イエス様は「あなた」という人格に出会おうとしておられます。
じっと見まわしておられるその視線の先に自分がいるのだな、と意識する今日として参りましょう。
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