今日のみ言葉【No.1451】(2017年 1月17日) 058 「復活したイエスに出会った女たち」(1)

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
(マタイ28:1)

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日没から一日が始まる。

これが聖書の世界の考え方です。

「夕となり、また朝となった。第一日である」
(創世記1:4)

たとえば、私たち日本人が金曜日の夜だと思っている時刻が、ユダヤでは土曜日が始まったと考えます。

その日は安息日にあたるので、仕事をすることをやめて休みます。そしてこれが翌日の夜明けから夕方の日没まで続きます。

そして私たちが考える土曜の夜がユダヤでは日曜日の始まりとなります。

この事情を知っておくと、イエス・キリストの復活の記事を理解しやすくなります。

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十字架にかけられたイエス様は、金曜日の午後3時に息を引き取られました。

日没まであと3時間ほどです。

日が沈んでしまうと土曜日となり、安息日に入るため、仕事をすることはできません。

そこで人々はイエス様の遺体を、埋葬の仕上げもそこそこに、アリマタヤのヨセフ所有の墓に葬りました。

最後まで十字架のそばにいて、イエス様の死を目撃し、埋葬まで共にいた女たちの気持ちはどういうものだったでしょう?

彼女らは愛する主イエスに対して、もっと丁寧に、心を尽くして墓に葬りたかったはずです。

しかし、安息日の規定でそれはどうしてもできませんでした。

ですから、安息日が明けた日曜日の早朝、女たちは墓にやって来て、十分葬りの用意が出来なかった分を補おうとして来たのでした。

「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。」
(マタイ28:1)

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ここでのポイントは、彼女たちはイエス様の言葉を信じていなかった、ということです。

イエス様は十字架につく前、何度もご自分の受難と復活を預言しておられました。

「この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。」
(マタイ16:21)

しかし、あらかじめ復活の預言を聞いてはいても、彼女らは現実には死んだものと思ってやって来たのです。

決して「神の言葉は必ず成ります。イエス様は預言通り復活されたはずです。さあ、会いに行きましょう!」と意気揚々と勇んで来たのではありません。

女たちの心の中では、神の約束など木端微塵に消え失せ、実際に自分たちの目で見た十字架上の姿、耳で聞いた声、手で触った遺体の感触の方が真実であると思っていたのです。

信じていない者が信じる者に変えられる。

生きているキリストに出会うことなど考えてもいない人が出会う、いえ、出会わせていただける、出会うようにして下さる。

これこそ神の起こされる奇跡です。

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信じられないままでも、あなたの考える最善の一歩を進ませてみましょう。

そこに神との出会いが待っています。

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